思い 思 われ 振り 振 られ 漫画。 痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。

[咲坂伊緒] 思い、思われ、ふり、ふられ 第01

思い 思 われ 振り 振 られ 漫画

紅葉はいまいちだったものの、逆光に透けたコナラの 黄葉はやはり秋を代表する色彩と言えるでしょう。 老齢化に伴い干し柿を作る世帯も少なくなって、 柿の好ましい循環が失われつつあるのは残念な ことです。 これまた陽に透けて白く浮かび上がるススキの群落。 この秋はよく絵のモチーフとして、このススキを描き入れました。 これは甲斐駒の上の一朶の雲・・ でした。 これもまた秋の風物と言えます。 10月も半ばを過ぎ、ここ数日は秋晴れの日も多くなった先週の水曜日(24日ですが)、紅葉の状況を見に久しぶりに増富から瑞牆 山方面へと出かけてみました。 瑞牆湖から右手増富温泉の方にクルマを進め、少しばかり高度を稼いできても、山はまだくすんだ緑 色の域を出なかったのですが、増富温泉を抜けて通仙峡に入る辺りから、谷沿いの木々が俄に色づき始めてきました。 つづら折れ の道を本谷川渓谷に沿って進むにつれ、この辺は紅葉の名所なのでそれなりに彩りは増して目を楽しませてくれ、クルマを停めては 撮影する回数も増え始めました。 ここにあった手打ちそば処は、この季節には紅葉の裏山が迫る庭で食すのが野趣に富んで楽しみだったのですが、お歳のせ いか休業となっていたのは残念でした。 さて紅葉の本番はその先にありました。 瑞牆 山は近づいてもその姿を晒す場所が少なかったのですが、この自然公園が開かれてからはいつ来てもその特異な姿が楽しめます し、紅葉の海が広がる光景もまた得難い場所となりました。 人もクルマも余り来ないせいもあるのか、手つかずの紅葉の森という感が深く、しばしクルマを停めて周囲の森に魅入っては写 真を撮るのでした。 その先少し走ってからの分岐点で信州峠方面の標識に従って右折すると、やがて道は未舗装になり、かなりのオ フロード走行となってきました。 参考まで書きますと、この分岐点から信州峠方面に出たい場合は、標識にある増富方面に左折し、そ のあとに出てくるT字路を右折し、黒森経由で県道を走った方が賢明と言えます。 私が入り込んだオフロードは、一度通ったような、い やそのときとは様子がまた違うような、ともかくも台風などで水が路面を削り、至る所大きくえぐれていて、私のSUVでも底を擦りそう なほどです。 曲がりくねってはその先がまだまだ続き、ナビ上では峠への県道が始終向きを変えつつも一向に近づいてくる気配があ りません。 こんな山道で倒木でもあったらそれこそ大変!引き返そうにも切り返せるスペー 台風襲来でNHKは終日台風報道で明け暮れました。 この間、どうも私は、NHKのリポーターが中継する際に必ず入れる一言に、都 度違和感を覚えて仕方ありませんでした。 それは、「安全な場所からお伝えしています」と最初に発する一言です。 皆さんはこれを聞 いて何も思わないでしょうか? 一聴して、安全第一なのはいいことだ、と思いがちですが、果たしてそれでいいのか。 おそらくこの一 言は、これまで特に民放などで付き物だった台風報道、つまりリポーターが吹きすさぶ風の中とか、叩き付けるような波風の最中で、 それもときに若い女性がそんな中でリポートしているといったさせていたショーアップしたような報道に対する批判からの反動ではない かと思われます。 しかししかし、考えてもみてください。 報道、特にTVはリアリティーをどう伝えるかが生命線ではないでしょうか。 事実 を事実として伝える・・そこに報道の、もっと言えばジャーナリズムの根幹があるはずです。 待望の秋!ではあるのですが、その入り口であの北海道の地震、これには驚くとともに、夏に続いた大きな自然災害が、ここにきて また日本列島に重いパンチを繰り出したかのようで、自然災害の怖さを改めて思い知らされました。 札幌の友人に聞くと、40時間ぶ りにライフラインが復旧してからは、さしたる苦労もしていないようなのですが、あの胆振地区での被災状況は、地理的な近さも合って か我々本土にいる人間よりも、被災者へのシンパシーが他人事ではないようです。 私たちにしても、あの悲惨な山崩れの映像を見る につけ、言葉通り足下が揺らぐ想いでした。 あの一帯は火山灰や軽石などの火山噴出物が堆積した土壌のようで、これまでも斜面崩 壊を繰り返してきたいわくつきの土地柄のようです。 そこで思い起こすのは、7月の西日本豪雨 さて、私の住む北杜市は、幸い大きな災害もなく、台風のあとも稲穂が垂れてしまった光景も余り見ないままで済んでいるのは幸い なことです。 この分だと順調な収穫が期待できるのではないか、と思ってしまうのですが、農家の人達にとってはこれからが勝負時。 皇国の荒廃この一戦にあり、なんていうと眉をひそめる方もおられるでしょうが、そんな心積もりで天気予報に目を配りつつ、満を持し ているのではないでしょうか。 稲田ばかりではなく、蕎麦畑も一面白い花を咲かせて、収穫の間近いことを知らせてくれています。 新 米、新蕎麦とくると、いきおい味覚の秋へと展開していく流れですが、私はさしたる食通でもないので、秋深まれば酒ますます旨く・・・ 先ずはそんなことが思い浮かびます。 次に折角豊漁だったサンマが、北海道地震の影響から立ち直 今夏の異常な暑さは、ここ八ヶ岳山麓でもいよいよエアコンが必要かと思案を巡らせるほどのものでした。 いやいや過去形ではなく て、これはまだ続くのかも知れませんが、そんな暑い毎日、何をしようにもなかなか腰を上げ難く行動は沈滞気味。 ただただ、この暑 さをやり過ごそうと日数を送っていたような気もします。 そんな中で、私が唯一こまめにやり続けていることが、空を眺め雲の様子を探 り、これはと思うとカメラを手に飛び出して撮影するという一事です。 首都圏の友人が、最近なかなか入道雲を見ないと言っていたの がきっかけで、それなら我が方で、と証拠写真を集め始めたのをそのまま続けているだけの話なのですが・・・。 それで撮り続けると、 様々な夏雲の表情が面白く、また、これだけ連日湧き上がる雲のオンパレードな夏もそうそうはないと、興味も増してくるのでした。 そ れはそうでしょう、煮えくりかえるような地上の暑気が上昇気流を間断なく生みだし、雲の供 7月31日 南アルプス上空 この日はまた格別の暑さで、我が家から少し下った見通しのいい場所から、正面鳳凰 三山の上空に積乱雲が乱立していました。 次から次へ、ますます高く・・・と、我が夏の 舞台で競演を繰り広げているようでした。 7月31日 原村方面上空 夕方近くクルマで出かけて撮影した一点。 中央線の線路を越えた三峰の丘辺りから西の空を見晴るかすと、これは立派な積乱 雲が勢力を誇示していました。 茅野市辺りの熱気を集めてのものか、ずっと遠方上空 のドラマは、空がクリアーだったらもっと迫力のある一枚となったかも知れません。 7月31日 西の空、入笠山面 刻々とその姿を変える日没前の空は、雲が逆光に縁取られて影絵の舞台のようです。 カメラを向けたそのときの雲は、ゴジラが口から雲の子を吐き出しているような一幕でし た。 8月1日 我が家のデッキから。 この日も昼下がりからしきりと入道雲が湧き上がっていました。 我が家のデッキからお 隣の屋根や梢越しに、まるで噴煙のごとく積乱雲が次から次へその姿と高さを変え、ま るで森の先に噴火口が存在しているようでした。 8月6日 北杜市上空 所用で甲府に出かけた帰り道、国道20号韮崎辺りで、ちょうど八ヶ岳上空辺りから雲 が立ち上っていました。 これまた、まるで山が噴火したようで、思わずクルマを停めて撮 影。 八ヶ岳は独立山塊であるため、この一帯で湧き出る雲は全て八ヶ岳での上昇気流が供 給源で、いつも様々な形で上空に流れ、興味深い表情を創り出してくれます。 8月6日 甲府方面上空 上の写真と同じとき、甲府方面を振り返ると、そこには巨大な積乱雲の塊が。 ちょうど39度の焦熱を体験しての帰り道だったので、この雲はさもあらん、と納得する のでした。 この日の夕刻、甲府はゲリラ豪雨に見舞われました。 今週の日曜日、天気が良くて割と暖かな一日、友人夫妻と霧ケ峰方面に出かけましたので、そのときの眺めた山岳風景をこの場で お届けしたいと思います。 撮影したのが11時前後でかなり日が中空高く上がっていたため、山々は陰影を欠いていまひとつくっきり感 には欠けますが、本州のど真ん中辺り、標高1600m辺りからの展望は、東は八ヶ岳連峰から、正面の南アルプス、中央アルプス、西 の際には北アルプスと、日本の名だたる山稜を一望に収めた豪勢なものでした。 視界にある深田久弥の日本百名山を数えると、なん と16座!私には今や登山など遠い世界となっていますが、こうして山を眺め、その名前をあげ連ねることが大好きなのです。 それらの写真を添えます。 白樺湖(中央左)の向こうに蓼科山。 東に連なる八ヶ岳連峰。 左端天狗岳から右端の編笠山までを 一望に収める。 分かりにくいが、中央に一段と白く高いのが赤岳。 正面左手には南アルプスの雄峰。 左から鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、 そして仙丈ヶ岳となるのだが、よく見ると甲斐駒の右奥に北岳と 間ノ岳が頭を覗かせている。 八ヶ岳は編笠山の斜面中程に富士山が顔を出してくれていた。 正面奥に中央アルプス。 真ん中白い一帯が木曽駒ヶ岳、その左手奥が空木岳 御嶽山は独立峰としてのボリュームが圧倒的。 そんな姿を誇示するかのような安定した構えである。 乗鞍岳の山塊は、霧ヶ峰特有の草地の向こうに、その 白い山稜をゆったりと広げている。 西端に北アルプスの高峰群。 左の穂高岳連峰から右手大キレットの窪みを越えて右手、ちょっと 分かりにくいが槍ヶ岳の黒い穂先も。 右端は一段と白い常念岳。 ったのが夜8時前のことでした。 委細は省きますが、医師によれば順調に推移して何の問題もなく終わることができたとのこと。 目隠し はされていたものの耳の方は全開、全てのやり取りを聞いていた2時間でした。 特にPメーカー本体と心臓を繋ぐ2本のリード線挿入の 時は、慎重で緊迫したやり取りにハラハラさせられました。 無事終了して手術台の上で半身に起こされたとき、私は思わず「終わった 〜」と発してしまいました。 それほどまでに、ここ3か月弱の間の肩の荷が下りたと言いましょうか、いやいや胸のつかえがとれたと言 った方がいいのか、この後に控える退院から日常への復帰が脳裏に浮かんで、明るい陽射しを見る思いであったのです。 な感じとなっているか、時折下見に行くのが常です。 それを取材と勝手に称しているのですが、その取材の最中のこと。 コスモスがか たまって咲いているスポットでクルマを停めて撮影中に、もう一台クルマがやってきました。 慌てて自分のクルマを移動させようとした ら、下りたった女性が「私も仲間ですから、大丈夫」と言って、手慣れた風にカメラを花に向けています。 その女性によれば、ここら辺 ののコスモスは殆どが"センセーション"という品種だそうです。 華やかな反面、一種儚さが同居するコスモスの印象からすると、セン セーションという派手なイメージは似つかわしくないように思えますが、コスモスの原産はメキシコということですから、それなりにラテン のDNAを引き継いでいるのかも知れません。 コスモスはまた、肥料ともなるので、田畑の端に好んで る場所に行ってみきました。 高根町小池という所です。 スケッチをしていると、通りがかりのお婆ちゃんが話しかけてきました。 何でも、 ここのコスモスはこの近くに移住して家を建てた御仁が、一人で種蒔きから生育まで手がけて来たそうです。 2車線の直進道路が上 下にうねって続くこの場所は、八ヶ岳も甲斐駒も良く見える広々とした気持ちのいいポットで、よくカメラマンたちが撮影している光景を 目にする所です。 そのお婆ちゃんはしかし、この気分のいい風景が楽しめるのもあと僅かだと残念そうに言います。 当地に食品メーカ ーのカゴメが大規模野菜農園の建設を進めるのだそうで、開発が進むと道の両側の凹凸も平らにならされ、殺風景な野菜ハウス軍 が出現するというのです。 に八ヶ岳がスッキリとその全貌を見せてくれるのは久しぶりのことです。 教室でスケッチに出た13日は甲斐駒は上部が雲の中に隠れ たままでしたが、15日になると実に久しぶりに両者の揃い踏みとなりました。 私が記憶している限り、これはひと月ぶりくらいではない でしょうか。 そして週末を控えて、一部の水田ではもう刈り入れが始まり、所々でコンバインが動きまわる姿を見かけるようになりまし た。 この連休に台風が来そうなので、刈り入れを早めているようでもあります。 今年は、あれだけ8月の天候不順があったのに、お米 の作柄は例年並みだそうで、お米好きの私としてはホッとしているところです。 昨日、武川にある農産物の直売所に行くと、もう武川米 の新米が出ていたので、早速買って帰ったところです。 になってきたということです。 だからといって、言葉通り事が運ぶかどうかは別問題なのですが。 それはさておき、秋は落ち着いて何か に取り組むにも、落ち着きから立ち上がってイベントなどを開催するにももってこいの季節。 文化祭などという行事も、私の属している 地域社会でも、町や地区のレベルで、さらには大小さまざまの団体においても開催されます。 私個人で言えば、秋も深まる11月に、私 の絵をじっくりご覧いただければ、という趣旨で1年前から予定していた個展を開催します。 自身の制作活動という点でも、芸術の秋に まさに適った季節と言えるのですが、お尻に火が付いた状態での製作活動では、どうも芸術の秋とは別物と言うべきでしょう。 それで も、あのまとわりつくような蒸し暑さから解放されるのは、絵筆さえも軽く運べる気分となるので、これはいいものです。 一つの区切りであるかのように人々は待ちわびて、そこから本格的な夏に臨むといった習性を持ち合わせてきました。 しかし、昨今の 異常気象振りから考えると、梅雨前線なるものが日本列島を覆うような一定期間など、これからも定期的にちゃんとやってくるとは限 らないかもしれません。 梅雨自体が従来のパターンと変わってきつつあるのなら、その曖昧な梅雨がいつ終わるかあるいは終わった かという問題は、あまり意味がなくなってくると言えないでしょうか。 梅雨明け宣言など、最早無視してもいいという時代となってくれば、 もう自分なりの気象状態の把握をベースに行動すればいいわけで、例えば私の場合、外でのスケッチが基本となる水彩教室は、6月 下旬からは梅雨なので休講としてきたのですが、それも考え直していい時期が来ているということになるのでしょう。 けの災害が付きものでは恵みの雨と仰ぐわけにもいきません。 それも半世紀に一度というほどの想定し難い集中豪雨の恐ろしさ、特 に線状降水帯なる怪物の出現は、ここ何年かで急速に現実の脅威として我々も認識するようになってきました。 あれだけ事前に特別 警戒警報が発せられていたにもかかわらず、結果として大惨事をもたらしてしまうのは何故なのか? 山と川に挟まれた狭隘の地で 耕作と居住を続けている集落は、日本中あちこちに存在する現実です。 同じような状況下にある集落は、先日のような異常事態をど うかわせば良かったのでしょうか(或はかわしようがあったのでしょうか)。 山国、日本の孕んでいる災害リスクというものは、従来のモ ノサシを改めたスケールで考え直す必要が出てきたと言えるでしょう。 さて空梅雨ですが、明日あたりから漸く雨模様で傘マークの日が増えてきました。 私の場合、明日は水彩教室の日なので、外でスケ ッチができなくなるのは残念ですが、そうも言ってはいられません。 何せ地面は乾いて、隣の畑からは土埃が舞ってくるし、木々の緑 もやや疲れ気味という面持ちですから、明日は恵みの雨到来!となりそうです。 やはり、山麓の初夏から真夏にかけては、水っ気とい うものが大事な要素となってくるのです。 それは木々や草の緑の潤い、稲の苗が黄緑色を増していく水田の移ろい、それに、涼を提 供してくれる川の流れなどなど・・・殺風景になりがちなこの季節の風景にまさしく潤いを与えてくれる要素と言えます。 というのは絵描 きの繰り言で、そんなことよりも耕作物はじめ、万物の実りを促す天の恵み。 気象庁も、市の農 祝いを兼ねたものでした。 集まったのはボスをはじめ、当時の20代の新人〜若手だった連中(この部署は一つの教育機関的性格も 帯びていたものでした)、それに両者を繋ぐ師範代的な役的であった私のような中間管理職という面々です。 この回自体は毎年開催 されているのですが私が出るのは久しぶり。 80才になったボスに続いて私はちょうど後期高齢者となった年、そして集まった当時の新 人や若手軍団は52才を最若手にしてもう定年も見えてきたという50代のヴェテラン社員たちという顔ぶれでした。 加齢とともに年齢格 差というものは縮まってくるような印象を持つのは私だけではないでしょう。 その点からすると、集まった当時の若手の面々は、当時も 今も20歳前後という年齢差に変わりはないものの、どこかぐっと自分たちに近づいてきたという ついでながら、この種の会合というもが圧倒的に5月が多いのは何故なのでしょう。 私の場合でも、先のOB会の他に二つの会が5 月にありました。 5月という季節は、私が暮らしている八ヶ岳山麓の四季の上では最も輝きを増す月と言えるものです。 外に出て絵を 描くにもる教室の活動を密にするにも、そして田畑の生産活動や、ただ単に自然を愛でる上でも、この5月は一番の刈り入れ時。 な ので、都会からのお誘いは、できれば5月を外してほしいものと思うのは、田舎暮らしをしている者なら等しく思う人情というものでしょ う。 その点、都会暮らしの立場から言うとどうなるのか、新年度が始まる4月やいよいよ梅雨入りかという6月よりは、中間の5月が気 分的にも気候的にも外に出たくなるときで、この種集まりの吸引力が増すという所以なのでしょうか。 結局最後は多数決の論理で、 我々遠方に住む者は少数派の不利に甘んじるというのが現状です。 まあそれも仕方りません。 改 コブシは春を告げる花、サクラは春を謳う花・・・とすると、ヤマナシは春を送る花とでも言えるでしょうか。 高原にこのヤマナシの白 い花が咲くのは5月も終盤にかかる頃ですから、もう初夏がすぐそばまでやってきているときで、周囲が新緑から色濃い緑に移ろいゆ く 頃です。 ヤマナシは山梨県 の県花ということになっていますが、八ヶ岳山麓では清里からお隣の長野県は野辺山、川上村にかけての高原で、牧場や畑の中とか 明るい林の中に、その白い姿を見ることができます。 気温がぐっと上がって夏日寸前となった昨日、私はそのヤマナシの様子を探り に清里方面に行ってきましたので、以下は写真を添えての報告です。 そんなありがたい春先なのですが、私自身は?というと、どうもあまり胸を張って言えるようなことが何もなく、先週は風邪で発熱して ダウン、もう数か月前から悩まされている五十肩は、今度は左肩にも出てきて今や両腕とも後ろの方には回らなくなしました。 風でろく なものも口にできなかった1週間だったのに、期待した体重はどういうわけか何も変わっておらず。 そして花粉症も軽度なものとはい え、然るべき日にはちゃんと出てきています。 私の場合は鼻水と目のかゆみくらいでしょうか、大した対策も取らぬままで何とか凌げ るのですが、多少憂鬱と言えば憂鬱。 それはそうと、私の基礎体温が随分と下がっていることがこの1週間で分かりました。 もともとは 36度ちょいといったところだったのですが、それがどうも35度台まで低下しているらしいのです。 尤もそれは、体温の源泉たる食べ 物の摂取量が先週は少なかったので差し引いて考えねばならない所もあるのでしょうが、若い盛 急なお知らせとなりますが、 4月1日(土)〜20日(木)まで、「八ヶ岳高原ロッジ」イベントスペースでの個展を開催することに なりました。 詳しくは別掲お知らせをアップしますが、これは個展というか、期間中は高原ロッジの管理下での展示即売説いた形で、 作家(私)が会場にいるわけではありません。 それと、限られたスペースなのでおそらく展示数も10点ほどとなるでしょうか。 いずれに しても、かねてより機会あればと申し入れをしていたもので、ただ、人気のあるスペースなので相当待たねばならないといった状況でし た。 このたび、キャンセルが出たのでいかがですか?との先方からの打診があり、それなら、と今後の実績作りのためにも応じてみる こととなった次第です。 これから作品の物色にかかりますが、手持ちの作品の中から選んでいこうと 感性と知見、体験と想像力が土台としてあるのは論を待ちませんが、それらを紡ぎ出す品格の高いスッキリとした文章がこの本の魅 力となっているのではないでしょうか。 希代の名文であると私はかねがね思っています。 私は登山が趣味と言えるほど山登りの経験 はしていません。 学生時代を含めても百名山で頂を極めたのは十座を数えるほど。 肺と体力に問題を抱える現在は低山たりとも足が 向かないのですが、ずっと山は好きで、山を眺めたり、感じたり、語ったり、そして読んだり・・・、上に書いた山を描くことも、そもそもこ の地を移住先に選んだことも、みんな同根の背景があってのことです。 そんな私にこの本はいつも"いい時"を与えてくれます。 それ が、この本がずっと枕元に置いてある理由です。 のは、すぐに息せき切っては誰よりも早く休憩に上がってしまったこと、一番大変だったのがスキーを履いての階段登行とか平地での ストック頼りの前進滑走であったことで、こればっかりは他の人について行けず、今更ながらわがCOPDの我が身を呪うのでした。 そ んなこんなで、しかしともかくも地区のスキー部初顔合わせだけは無難に終えたという一事にホッとするとともに、仲間うちの最年長者 (こういう事態は経験していなかったかも)であり、唯一の70才代として、多分それなりの配慮にも預かりつつ楽しませてもらえたこと に改めて感謝。 じことでしょう。 しかしかと言って、これは一見の価値のある作品群でありまして・・・、など とは決して口にはできず(心のうちで思っていても)、人前に作品を並べるというのはどこか俎板の鯉に似た心境となるのが個展と言 えるでしょうか。 その個展、私はかねてより甲府で開催しようと思っていたことは以前このFノートで書いた通りです(11月4日付け)。 県 民の皆様にご覧いただきたいという気持ちはありますが、県外からも遠路お越しいただけるなら、作家として望外の喜びであるのは 論を待ちません。 このように今年は個展によってお尻は点火状態となりました。 それが創作へのエネ でいたことから、甲府まで出向く億劫さも手伝ってこの日まで引きずってきてしまったのでした。 それで、当日行ってみるとさほど申込 者が殺到しているといった具合ではなく、私も若干の調整を受け入れることにはなったものの、殆ど希望通りの日程で使えることとな りました。 来年の11月13日(月)〜19日(日)の一週間、場所は甲府の県立図書館イベントスペース、そこで私としては2年 半ぶりとなる個展が決まったという次第です。 かなり広いスペースなので、その気になれば40〜50点の展示が可能です。 これま では東京と現地(北杜市)での個展ばかりで、広く県下の皆さんにご披露を、といった趣旨の機会がなかったものですから、この甲府 での個展では、アーカイブス的な要素も入れて、これまでの代表作めいたものも何点か含めて展示してご覧いただける機会にしてみ たいと今から思っています。 当HP上でも、来年は折に触れてこの個展の告知をしてゆく積りですので、皆様にはまたよろしくお引き立 ていただけますようお願いします。 あい公園、ここの落葉広葉樹の森はしばしば描いていて、そろそろいい頃ではと思って出かけたのですが、現地に近づいても一向に 紅葉の兆しが認められません。 そして例の湖畔に立つと、下の写真(右)のような具合で、昨年と比べると相当紅葉が遅れています。 また、紅葉の進捗にしても、早めに紅葉するシラカバやサクラなど、いずれもくすんだ色合いで、紅葉する前に枯れ始めていたりで、 これから鮮やかになるといった気配が薄いのです。 同じ場所の昨年と今年のそれの写真からも、それがよく分かると思います。 公園 で立ち話した人によると、昨日走った八ヶ岳横断道沿いも、とっくに紅葉のピークであるはずなのに、全線を通して冴えない状況であ ったとのこと。 昨年のこのFノートを振り返ってみると、昨年は紅葉が早くやってきて鮮やかな装いを見せ、割合早めに収束していった という具合だったので、今年はこれとは好対照、紅葉は遅れ、しかも鮮やかな彩りの変化を見せないままでいつの間にか終わってし まいそうな、そんな期待できそうにない年となりそうです。 漸くやってきてくれました! 秋晴れの一日が。 それも教室の日の今日、久しぶりに文字通りの天下晴れての戸外でのスケッチがで きました。 高根町の箕輪というなだらかな棚田を見下ろす場所で八ヶ岳も甲斐駒も一望できるスポットに出かけ、一同絵に没頭。 稲の 刈り入れは半分くらい済んでいる状況で、一帯は刈田と黄金色の稲田が入り混じっています。 どういう訳か、季節の風物とも言えるは さ掛けの光景はありませんでしたが、こうして北に八ヶ岳を、南には鳳凰三山から甲斐駒へと連なる南アルプスの両方の勇姿を、これ ほどくっきりと捕らえることができるのは久しぶりのことです。 私たちはもう何年かにわたり何度となく甲斐駒や八ヶ岳のある風景を描 いているわけですが、それでも、こうして秋晴れの空を刻んだ山の勇姿に向き合うと、その光景があたかも引力を持っているかのごと く、私らの目と絵心は自ずとそこに向かっている、といった具合なのであります。 そうして描いた絵は、これがまた同じような風景画で であっても、ある種の旬な風味ともいうべきものが画面から湧き出ているのが不思議です。 上手いとか上手くないという問題は別にし て、そしてそれが私の絵であっても生徒さんの絵であっても同じように言えるこ 一つはあと残すところ3か月足らずでこの年も暮れるということ。 もう一つは、折角の秋さわやかな季節なのに、先月から引き続いて 予報は雨マークが多く、高く安定した秋晴れの空が続きそうにないことです。 それでも時間は進行し、我が家の庭木も緑が色褪せて、 ジューンベリーの木などは枝先の葉が黄ばんできています。 ヤマボウシの赤い実も半分以上が落ち、道端に咲くコスモスは既に華や かさを失いつつあります。 刈り入れの季節ですが、今年は雨でぬかるんでいるのでコンバインを動かすのも思うに任せないところがあ るようです。 野菜も軒並み不出来で、ついに値段も上がり始めました。 ・・・ちょいと所帯じみてしまいましたが。 そんな中、一応家の中 で制作活動は続けているのですが、どうにも窓から入ってくる光量が不足することが多いので滞りがち。 ただでさえ集中力の持続が 問題となっている昨今、一つの絵がなかなか完成を見ないまま放置されていることが珍しくあり 先週末、高校時代のクラス会があって久方ぶりに東京に行ってきました。 蒸し暑い最中、あの人ごみの忙しなさと騒音の洗礼を身に 浴びてきたわけであります。 予期した通り、疲れ果てて戻ってきました。 小淵沢の駅に降り立って、高原の空気を胸いっぱい吸い込 み、ホッとしたのは良かったのですが、明けて次の日もその次の日も、心身にこびりついたような疲れが取れず、おまけに、ぎっくり腰 のあの前兆のごとき電流さえもが背中を走ったので、ずっと我が家でボーっとして過ごしたのでした。 そう言えば、一週間前のおわら の時も同じで、なかなか疲れが取れなかった。 それが年のせいと言ってしまえば身も蓋もないのですが、今回東京から帰って、どうも それ以外に思い至る節がいくつか浮かんできました。 それらは、あまりにも普段の生活に馴染んで 二つ目は、何といっても普段歩かない分のしわ寄せが、都会ではすぐ出てくることになるという点。 これは、帰ってこちらでの普段の 生活に戻って直ぐ気付いたことで、つまり一歩家を出ればクルマの運転席に座り込む、クルマを走らせて用事を済ます、というのが改 めて私たちの日常生活という事実です。 ゴミ一つ出すにも、当地は1キロ先のゴミステーションまでクルマ。 コンビニで買い物というとき は、2.5キロ先まで、銀行は3キロ先、何処に行くにもクルマです。 従って歩かなくなり、むろん人込みを縫って急ぎ足という事態も皆 無。 身体がなまって贅肉が増え続けるという悪循環に陥っているのであります。 この点都会では、何処に行くにも、移動手段が地下鉄 であれ何であれ、必ず徒歩が付きまといます。 途中階段もあれば人混みもある、蒸し暑いにしても何にしても歩かねばなりません。 考 えてみるとこの違いは凄く大きいものに思えてきました。 文明の先端を行く都会では、二本の足を使って歩かなければならず、文明よ り自然寄りの当地では、意識しないと歩くことがなくなる・・・ そういうパラドックスに改めて思い至ったわけです。 さて、歩こう、歩かねば、という危機感のようなものは普段からあって、私もときとして思い出したように散歩に出ます。 私の場合は両 手にストックを持ち、苦手な上り坂などはその助けを借りて歩くのです。 リズムも出てくるので、これが後押ししてくれる利点もありま す。 しかし、これを見た他人から、"ノルディックウォークですか"なんて言われると、恥じ入るばかりです。 肺機能に難のある私の場 合、このストックは本当に腕の助けを借りるという、いわば手足の四輪駆動による徒歩を意図してのことなのですから。 実はこの肺機 能云々に関し、最近検査した結果、軽度のCOPD(慢性閉塞性肺疾患)と診断されたところです。 過度の息切れとか低い肺活量な ど、この疾患については確信犯であろうとずっと思っていたのですが、やはりそうでした。 タバコはもう止めて5年以上なのですが、そ れまでの長年の喫煙が祟ってのことだと思います。 さらに言えば、中・高生の頃からマラソンは大の苦手で、呼吸困難に陥って大体は 途中でこっそりとコースアウト。 目立たぬように帰還していたくらいです。 まあそんなことで、と言いますかだからこそ、私は意図的に歩 かねばならない、そのように自覚はしています。 話を戻しますと、都会での疲れも、先の背景に加えてこういう事情もまたあってのこ と、という次第です。 直して市街に足を向けました。 今度は街の下半分、坂下の方に向かいました。 途中今町の流しに合い、下新町では例によって八尾 八幡社の舞台で踊るおわらを垣間見てから、「工芸まこと」という店の軒先に用意されたテーブル席でビールをいただくことに。 この店 はかつて「坂の町アートin やつお」というイベントに参加した折、私の展示会場として使わせてもらった店で、おわらで行く都度顔を見 せては一杯やっていくのを常としています。 今回は近くの店で買った寿司折りをここで開けさせてもらうつもりだったのが、ひと仕切り 中のスペースに通され、そこで居合わせたオーナーや奥さんのかつての同級生達との話しに交ってのリラックスしたいっときを楽しま せてもらいました。 狭い町なので同級生たちはいつまでたっても身近にいて何かあれば寄り集まるとのこと、いいですよね〜この人と 人の距離感、この親密さ加減。 小さな田舎の町ならではのことでしょうか。 私の場合だと、相当昔ウクレレなどを弾きながら歌っていた中に、「秋の夜は更けて」という、これはハワイアンだったか〜があ りました。 "秋の夜は更けて すだく虫の音に 疲れた心癒す 我が家の窓辺 小さな小さな 幸せはここに" という歌詞だったか。 一応ネットで確認してみるとちょっと違っていました。 まず曲の名前は「幸せはここに」。 次に一番の最後のフレーズは"静かにほのぼ のと 幸せはここに"でした。 それと、そうそうこれは大橋節夫のつくった歌でした。 細かな点は別にして、言いたかったことは、歌の世 界も仲間内での演奏の機会も、いまよりはずっとうぶな時代だったということが第一点。 高校生だったかそこいらでウクレレ片手に仲 間と口ずさんだ音楽のシーン、その多くもまたうぶで他愛ない詩とメロディーに包まれていたという感慨が第二点です。 多感な時代の 音楽体験が未だに心のどこかに浸み込んでいるわけで、だから秋の夜が更けると音楽に結びついてしまう・・・そんな風に思考回路が つくられているらしい、というわけです。 りなのでずっと敬遠しています。 静かな環境下で十年余り暮らしていたら、群衆の中に入っていく勇気が消え失せてしまいました。 こ ういうことだから、上京するのもちょっとした覚悟の上ということになるわけです。 それで過去何年かは家の中でいつもの通りTVなどを 見ながら過ごし、例のドカーンという音に尻を叩かれるようにして部屋の中からデッキに飛び出すのが常となっています。 高みの見物 ということになりますが、実は会場と当家の間にある森のせいで小さな花火は頭の方がちょこっと見えるくらい。 これが尺玉となると森 の頭上にヒュルヒュルと駆け上がり、中空でドカーンと炸裂する様がほぼ100%見えます。 花火の輪が広がり舞い降りる様はなかな か迫力満点! まあその数1500発程度と言いますから、この近くでいえば諏訪湖や市川大門町の花火とは比較になりません。 それ でも折角だから・・という気でデッキに陣取って尺玉を待つわけです。 それが上がると、当家背後の茅の原の向こう側とか鬱蒼とした 木立のそこここから歓声が上がります。 かなり広い暗闇の空間のそこここに人が繰り出していることが初めて知れるという次第です。 そして打ち上げも歓声も途絶えると物音一つしない間がいっとき続き、そうなるとい と同じような想いの方が大勢おられることでしょう。 そう言えば、ブラウン管などという言葉も液晶画面の登場によって過去のものとな り果ててしまいました。 昔の映像を見るたびに目にする丸っこいTV画面とか丸いチャンネルセレクターも、既に博物館入りの代物と化 しています。 それにしては、"チャンネルを回す"という表現は今なお生き残っているのは不思議といえば不思議。 「イレブンPM」は確 か途中からカラー化したと記憶していますが、TV黎明期を象徴する街頭テレビの力道山のときから、白黒テレビは17,8年続いたの でしょうか、私は小学生だった頃から大学時代までは、家でずっとこの白黒画面にすがりついていたことになります。 ついでながら、当 時の映画はシネマスコープの登場とカラー化がどんどん普及していった時代で、映画の広告とかタ してもこれら作品群を少しばかり整理しておかねばならないと思い至ったのです。 これらの作品の数々は、個展などに展示した際額 装された状態のまま保管されているモノと、スケッチだとスケッチブックに収まったままのモノ、そこから外されたまま無造作に保管さ れているモノ、そしてカット紙やブロック紙の作品だと用紙のサイズごとにホルダーに収められているモノがあります。 しかしその他に、 いろいろな目的で保管場所から引っ張り出したり引っ込めたりを繰り返すうち、行き場を失ったような状態のモノが存在していたりで、 これは到底描いた本人以外には仕分けの仕様もない状態でした。 そこで、描いた年代順、サイズ別、そしてスケッチと完成画の分類 などを考慮した、ある程度系統だった保管形態にしてゆこうと作業を始めたのですが、これがそんなに簡単なことではなかったので す。 特に展示目的で一度本来あるべき所から取り出したモノについて、いつ何時描いたものか、およその見当はつくのですが定かで はない。 そういうモノは一応目録として記録してあったファイルと照らし合わせて同定してい くのですが、このファイルにある作品名と実際の絵がどれなのか、これがまたそうは簡単には一致しないのです。 最近でこそ絵のど こかに描いた年月日と用紙の名称を記していますが、かつてはこれをせずに、描き終えると絵画目録というファイルに題名や制作年 月日などを記入していただけでした。 つまり画像ではなくて文章情報のみ残していたわけです。 この点、このHPに掲載しているモノに ついては画像ともども記録されていますのでこれは助かります。 それで目録との照合に頼るわけですが、こんなときに大まかな年代を 決める大きな手がかりとなったのは、絵に記してあるサインです。 これは今でこそずっと安定していますが、以前は一定の期間を経て 変わってきていたので、大いに参考となりました。 その一方で、絵の稚拙さとか技術的な要素で、絵の描かれた年代を辿るのは思っ たほど簡単じゃない。 まあ、私が集中して描きためてきたのはここ20年ほどのことですから、おおよそこの辺りという見当は付きます。 つくのですが、ある二つの作品を並べて年代的にどっちが先か後かという問題は、技術的な要素からはなかなか推し量れないもので す。 よく学芸員が著名な画家の作品を見て、この描き方はこの時代のモノ・・・といった講釈を耳にしますが、この尤もらしさという点 は、どこか眉唾的で私にはずっと引っかかるところでした。 戻し、これから先に突き進んでいこうという自信と喜びが、いま振り返ってみてはっきりと感じ取れるのです。 最初の個展が59才の時 で、その時にこうした時期の絵を展示し、予期せぬほどのインパクトがあったことは、今になってみると合点がゆくのでした。 それから 2年後の二回目の個展では60才初めのころまでの作品が並んだわけですが、このときも勢いの余韻が引き継がれていました。 作品 的にはよりこなれてきた感がある一方で、いろいろな作風というか雰囲気の絵を試みた跡も見て取れます。 その一方で、これは"早く も"と言うべきか、いろいろ試みた作風は出尽くした感もあって、上手く描くという点では腕を上げたものの、もっと冒険をして未知の自 分を発掘しようといった意欲はトーンダウンしてしまった感がしないでもありません。 人の心をとらえるごつごつとした部分、そういう粗 野とも言える要素が洗練さの中に埋もれていったとでも言えるでしょうか。 それから60才半ばからの傾向として、少なくとも年齢とともに淡い色調で、人が良く言う癒し系の作風が増してきたことも認められま す。 この間、もちろん自分なりに満足できる絵もたくさんあって、それらの多くは技術的な面で言えば、かつての勢いの良かった頃に は決して描けなかったレベルでもあります。 70才代に入るといい意味では枯れた作風の絵が増え、悪い意味ではちょいと波風の少な いインパクトに欠ける感じが出てこないでもない。 そしてここ2,3年は描く点数も減って、我ながら集中力の欠如を感じる今日この頃 であります。 こうした傾向は、何も絵の世界だけではなくて一般的にも通じる年齢的な傾向と軸を同じくするモノなのでしょうか。 そのように自分を客観 視したりもするのですが、いやいや歳なりの年輪とか洒脱な遊び心とか、自分の絵はもっ 参議院選挙が終わって、毎度のことながら、私と世間様とは考えがかけ離れているのかな、といういつもと同じような思いを今回も 抱きました。 そもそも参議院は良識の府であり、チェック機能が生命線なのですから、こうも与党に票が集まるというのは参議院の存 在意義が根底から揺らぐ事態ではないかと私などは思います。 それはつまり、選ぶ方が参議院の在り方など端っから度外視して選挙 に臨んでいるという一事の査証でもあるし、世間様を映す鏡であるべきマスコミ然り、こういう視点での報道も論旨にもついぞ出会わ ず仕舞いなのはお寒い状況と言えるのではいでしょうか。 審判を下すにあたって、今の政治の在り方、国会の趨勢などに対する有権 者としてのバランス感覚を欠いている、と言われても仕方ないでしょう。 18歳から選挙権を有するようになった現在投票を促すのも大 事だろうが、こういうことをちゃんと見直して正視できるような状況をつくるべきではないかと思うわけです。 でなければ、参議院など最 早不要なんじゃないか。 オッと、政治向きのことはこの辺で要軌道修正です。 選挙の喧騒が終わって・・と言いたいところですが、実際には我が家周辺から選挙カーの音声が聞こえてきた記憶がありません。 そ れほど当地は人口密度が低い地域で、こんな所で汗水流すよりはもっと人が多い地域で選挙運動を、と誰しも考えるところでしょう。 投票所である公民館に行けば、顔見知りの選管の委員が座っていたりする場所柄です。 それはそれで如何にも田舎らしい穏やかな 光景と言えます。 一方、穏やかでないのは暑さのことです。 選挙明けの天気だけは昨日に引き続き朝から盛夏の様相を呈していて、 この北杜市で34度と いう予想が出ているのです。 "あってはならない" と叫びたくなるほどの気温で、なんたってここは千メートルの高 原地帯、一般的には避暑地なんですから、そこんとこヨロシクと天にもの申したいところです。 絵を探すのに苦労します。 必然的に、撮りためた夏の風景写真の中からこれというモチーフを拾っては絵にするわけです。 そのように して描いたのが。 それでも、描くときは現場で得た皮膚感覚と言いますか、風景に接したときに"ここならこんな風に 描こう"といった感覚を大事にしています。 つまりは、そういう感覚を得られなかった風景は写真にもなっていないし、絵になることもな い。 同じように他人が撮ったり本に載っていたりといった写真は、そもそも絵のモチーフにはなり得ません。 むろん描こうと思えばそれ なりの絵はできるでしょうが、自分の作品として生命を吹き込むような絵とはなり難いという意味です。 ちょっと話が横道にそれだしま したが、夏の風景でした。 それが抑揚を欠くものだし、ましてや暑い日差しを浴びながら、というのは <追記> 5月21〜22日の週末を過ぎると、山麓の田圃では早苗の列が急に目に付くようになりました。 この前後好天に恵まれた ことと、週末の人員動員による作業進展のせいなのでしょうか、いっとき空を映した青い鏡模様のような水田の光景も、この辺で見納 めのようです。 この間、併走するようにして連日気温上昇が続き、大気は霞がかって山の展望を遮る日が多くなりました。 北海道が日 本で最も暑くなる日が続いたのもこの間のことです。 幸い我が北杜しては、気温が上がってもまだ夏日止まり。 甲府などと同じ典型的 な内陸にありながら、ときに6,7度もクールな気候の中で夏を過ごせるのは、ひとえに高原たる標高の違い故。 この季節になると改 めて思い知らされます。 もう5月、GWも半ばとなってしまいました。 GWの進行はどうでもいいのですが、私にとっては今年ももうこんな季節! というのが驚 きであり、嘆かわしいところであるわけです。 春たけなわからもう直ぐに夏、というこの間のスピード振りは、季節の移り変わりの中で 一番かも知れません。 まあしかし、そう愚痴ってばかりいても始まりません。 この山麓が1年のうちで一番賑わうGWは、例によってク ルマ密度も人口密度も急速に高まっています。 お昼ともなると、普段あまり人気もないレストランも駐車場は満杯。 人気店となると空き 待ち状態となっています。 小淵沢に来たことがある方ならよく分かると思いますが、ICから北上して道の駅の交差点まで、そこを右折 して突き当たったT字路を右折したリゾナーレ八ケ岳まで、逆に左折だと100メートル内外の道沿い・・・この一帯を小淵沢銀座と称 し、道沿いにはレストランが10数軒、コンビニ2軒、ホテル2軒、それに道の駅や温泉施設も建っています。 この時期、そこにクルマと 人が集中するわけで、なるほど銀座と称したくもなるこのGWです。 と言っても超一流店があるわけではなく、店と店の間隔もスケス ケ、クルマ社会ですから銀ブラもどきの歩行者もほとんど見かけません。 これらの施設によるGWでの売り上げが年間売り上げにめ る割合がどれほどなのか(今度何かの機会に訊いてみたいと思いますが)、この時と夏休みシーズン特にお盆の頃の売り上げを併せ ると、年間の半分近くには行くのではないか? そんな下種な勘ぐりさえ頭の中をかすめます。 強い寒の戻りがあって氷点下の朝を迎えた今日、陽が上がるとみるみるうちに気温も上がってきました。 一昨日に続いて今日もサ クラのチェックで外出。 少し時系列を整理して言 いますと、二日前に取材したときは甲州街道まで下って行って初めて満開のサクラを目にし、武川の実相寺やその上手の實原の並 木では、まさにピークに発達した雲のようなサクラを目にしました。 それからさらに足を延ばし、穴山のフルーツロードまで上がってくる と、こちらはモモと菜の花とサクラが一斉に短い春を歌い上げているようでした。 それでも我が家から少し下ったいつも走り回っている 一帯ではまだ開花の手前で留まった板状態だったのです。 それが2日後の今日は堰を切ったように満開です。 いつもは町中に位置し ているので余り足を運ばないン長坂湖に行ってみると、ここならではの華やかなサクラが咲き なったおかげで、近県に住む幼馴染が個展に来てくれるようになり、そういう懐かしい面々と一度は揃って保田に・・・という想いがずっ とあったわけです。 そして保田へのノスタルジーが募ったこの3月末に、そんな機会が実現。 同級生だった二人の女性と久里浜で落 ちあい、フェリーで保田に向かい、保田在住の面々と再会して一泊を共にし、積もる話に花を咲かせました。 幼少時代のそれぞれの 家の周辺散策は懐かしく、また次から次へと当時の人の名が出てきて、このツアーの白眉ともなる時間でした。 それにしても、小学1 年生の時の通学路がなんと狭く感じられたことか! それに距離感も記憶に残るよりもずっと短い! この印象は誰にも共通するも ので、幼少の頃の低い目線で見ていた世界が愛おしく思い起こされるのでした。 そしてこの目線の違いの中に66年の歳月が流れて いることを改めて実感した次第でした。 我が家西隣の茅の原は、既に東側が畑地として開墾され、移住してきた農業家が借りてこの春からジャガイモなどの植付けが始ま るようです。 随分と木も切られ、かつての茅の原の面影がなくなってきました。 他人の土地だから仕方ないと思っていた矢先、地主の Hさんが「栗原さん畑をやらないか」、その気があるなら当家玄関から出て10歩と離れていない所を耕起してくれると言うのです。 私はさすがに疲れたので今日はお休みと思っていても、いつの間にかHさんだけでなく、ご 近所の夫婦もそこで立ち働いているので、当の私らが知らん顔もできず、意に反して連日作業が続くのでした。 そうしているうちに立 派な柵ができ、二度三度と耕運機が耕し、私ら夫婦は皆のわいのわいのという労働に促されて、畑を始める体制になってきているの でした。 しかしまだ、畝建てや施肥、苗や種芋の買い付けと、もうやることはないと思っていた労働に立ち向かわねばなりません。 そう は言いつつも、女房にとってはこれが励みになり、大好きなジャガイモやトマトを食す楽しみとの引き換えとなる畑仕事ですから、わが 身に鞭を打ちつつ勤しんでゆく積りでいます。 因みにジャガイモは男爵と こんな雪の朝は決まって野鳥が我が家の餌台を目指して飛来してきます。 今朝も然り、時折吹く強い北西風の間は木立の中に籠も り、合間を縫って餌台の先陣争いを繰り広げます。 この日は常連のシジュウカラとカワラヒワ、それにスズメと珍しくイカルもやってきま した。 そんな中で、これはヒマワリの種が目当てではないのでしょうが、見るとアカゲラが餌台を窺っています。 正確には餌台の傘の 辺りを窺っていると言うべきで、ともかくもアカゲラはヒマワリの種は食さないので、この古びた餌台そのものを観察してそこに潜む虫 の存在を探しているのです。 ここには度々こうしてアカゲラがよじ登ってくるので、餌台の枠が外れたり支柱に小さな穴が空けられてい るのは みんなこのアカゲラが主犯というわけです。 それでも仕方ないと思えるのは、この自然が創り出した軌跡のような衣装とひょう きんにも見える愛らしい動きのせいです。 今でこそアカゲラを見かけるのは珍しくなくなっていますが、当地に移住して初めてこの野鳥 に出会ったときはちょっとした感動ものでした。 写真でしか見たことのなかったあの赤と黒と白の軌跡の衣装をまとったアカゲラが目 の前で動いている!!どうもこの体験が、その後の野鳥との親密な付き合いの 台へと回り込んでいるその内側に出てきてしまいました。 小淵沢駅を出て西に向かい、ややあったから右手に大きく回り込んで高度を かせいていくそのループラインの懐といった場所で、ここは夏期には田圃アートが出現したり、甲斐駒を背景にした小海線の車両の 撮影などによく使われる場所です。 クルマが一台停めてあってカメラマンが待機していたので、小海線のダイヤを知ってます?と訊く と、「11時14分発がもうすぐやって来ますよ」との返事。 自分もカメラを構えて間もなく、電車の音が聞こえてきました。 ともかくもシャッターを何枚も切り、このハイブリッドの小海線と雪の甲斐駒という一枚をものにしたわけです。 た だ、逆光だったので、銀色に黄と青のあしらったあの車両は写真ではよく分かりませんが・・・。 降雪があっても春の足音は感じられるこの季節、毎年同じような風景なのに撮影に出かけたり絵を描いたりと、これまた同じような ことを繰り返しつつ待望の春を迎えています。 ただその春の足音というやつは、年とともに嬉し差の度を増して感じられるのは私だけ ではないでしょう。 もうこれで当地では11度目の春です。 都会に較べれば変化の度合いはずっと少ないのでしょうが、八ヶ岳山麓でも あちらこちらで家ができたり太陽光発電のような今や当地では忌み嫌われ者の施設ができたりと、風景は年とともに変わりつつありま す。 我が家の周辺も例外ではありません。 我が家西隣の茅の原も、お気に入りのシラカバの大樹から向こう そんなひと昔の間、私が変わらずにやってきたことは、絵を描き教えてきたことである。 それはたくさんの作品と は別に、たくさんの風景の引き出しという形での集積だ。 季節によって、時間帯によって、描きたいモチ ーフによって、何時どこに行けばどんな風景に出会えるか・・この八ヶ岳界隈において、私以上に豊富な 引き出しを持っている人はいないのではないか。 そんな自負さえ持っている。 農道や畦道、怪し げな山道、そこに行けば宝石が見つかるかもしれないと思うと、空振りも恐れずにとりあえず確かめに 行ったのだ。 道が途絶えて引き返すのに苦労したり、いきなり他人の庭先に出てしまったことは枚挙に 暇ない。 そうして出来上がった風景の引き出しは、いわば私の絵心のファイルとして絵描きの活動を支 えてくれている。 さて、そんなファイルの中で主役を張っているモチーフと言えば、さびれた山間の集落なども挙げられ るのだが、やはりこの地をこの地足らしめている山々であろうか。 元々八ヶ岳山麓に移住してきた人達 には、山々に対する親近感とか畏敬の念を抱いている人が多いと思う。 私もその一人で、山々に囲まれ ると一種胎内に抱かれているような安堵感を覚えるのだ。 この界隈には、八ヶ岳の峰々をはじめ南アル プスの甲斐駒ケ岳や北岳、鳳凰三山、秩父山系の茅ヶ岳や金峰山、瑞牆山、さらには遠くしかしスッキ リと全容を見せる富士山と、視線を巡らせば錚々たる名峰たちが佇んでいる。 里の風景は年月とともに 変わってくるものだが、山は太古から刻まれてきた風貌を変えることがない。 その個性豊かな風貌を私 は幾度となく絵にしてきた。 目をつぶっていてもおよその輪郭をたどれるそんな山々は、いつもそこにい る隣人のようでもある。 風景は見慣れてくれば鮮度感が落ちていくものだが、毎年初冠雪した山々を見 ると気持ちが引き締まる思いがするし、雪解けの頃山腹に咲き始めるコブシを認めると心がほぐれる。 山々をめぐる季節の移ろいを目にすると、いつものことながら心の内が初期化され、鮮度感が甦ってく る思いがするのだ。 隣人たちがこぞってそんな四季の装いを見せてくれるのだから、ひと昔もの間付き 合っていても、色褪せることがない。 今年も早一月が過ぎようとしています。 雪も降らなければ梅が咲き出しているのを見かけたり、言われていたように暖冬だと思って 過ごしていたら、ここ一週間はいきなり厳冬期に引きずり込まれた感があります。 日射しがあっても寒い!今朝は我が家のデッキにおかれている寒暖計がついにマイナス10度を超えていました。 幹線 道は除雪されていて道幅もあるのですが、一旦枝道に入るとクルマ一台分しか除雪されていないため、対向車があると交わすのに難 儀するわけです。 注意しないとスリップのリスクもあるので、クルマで出かけるのは緊張感を伴い 友人との会話やメール交信の中で近ごろよく出てくるセリフ、それが「早いね〜月日が発つのが。 あっという間に今年も終わりだから ね〜」。 同年代の誰もが抱く実感なのでしょうが、その早さが年とともに加速していく様は驚くばかりです。 そしてこれを書いている今 日は師走入りして4日目。 今朝は朝起きてカーテンを開けてみると、真っ白な光景が目に飛び込んできました。 予報では何も触れてい なかった初雪です。 一瞬身の引き締まる思いがしますが、今年は秋が早く通り過ぎたかと思っていたらその後暖冬気味。 我が家の主 要暖房手段である蓄熱暖房機に電源を入れたのも、昨年よりずっと日がたってからのことでした。 早くから枯れ木と化した付近の林 にしても、その後の暖冬傾向にやや身を持て余したかのように陽に晒されていました。 初雪の今日 毎年11月も半ばを過ぎると、今年も残るところあとわずか、いくつかのイベントも終えてサアあとはどう過ごそうかと思いを巡らすこと が多くなります。 ちょっとノートを手繰ってみると、昨年の紅葉の盛りの頃は久しぶりに高校時代のクラス会をこの八ヶ岳山麓で開催。 私が言い出しっぺの幹事役だったので結構事前チェックやら手配に飛び回ったりしていました。 その一年前の2013年は画集の第2弾 作成 上梓が10月 とそれに続く11月には東京での個展という私としては大きなイベントが重なった年でした。 こうした事々を順序立てて 列記できるのは、このマイノートの記録などがあったからで、それがなければ俄かには順序立てて語ることができなかったかも知れま せん。 情けないことに…。 子供や学生のことの記憶が鮮やかなのに直近の出来事がヴェールの向こうで判然としないのは、若いころ の記憶はそれだけ何度も思い起こす回数を重ねているのでしっかりと記憶に残っているのだ 係なく何でも簡単に買えてしまうネット社会です。 最近はとみに往年の名演奏とか一時代を担った演奏家の音楽を聴いてみたくなり、 これまで拘っていた音質を度外視してネットで探し求めたりしています。 最近手にした代物には、偶然ですが 二人のクリフォードによ る演奏があります。 一人がクリフォード・カーゾンという私の生まれる前にクラシック界で名を馳せた英国のピアニスト。 彼のピアノは気 品に満ち、自然で心地よい粒立ちでモーツアルトの協奏曲や四重奏曲を奏でてくれます。 こういう演奏を耳にするのは現代ではそうは ないと言えるのではないでしょうか。 もう一人は知人から教わったクリフォード・ブラウン。 稲のはざがけの上に留ま り足で鷲掴みにしたネズミか何かの 獲物を悠然と啄 み始めた。 夢中でシャッターを切っているうちにやお ら飛び立ったのだが、あとで調べるとこの辺で良く出 没するノスリであることが判明。 稲を刈り取ると獲物 を見つけやすくなるらしく、秋はノスリにとってもかき 入れ時であるようだ。 (10月6日) 八ヶ岳山麓には余り目にはつかないのだが池が いくつかあって風景に変化を与えてくれている。 のんびり絵など描きたいところだが、私有地で 夏場以外は人が居ないためこの日は写真に収める だけで退散。 散策にはもってこいで、対岸を歩くカップルは我々と 殆ど同じシニア世代か、こうなるとなかなか好感が 持てるというもの。 野辺山も1500メートルを付近の 高地までは野菜畑も開墾されておらず、この ような牧草地が広がる。 (10月19日) 私の住んでいる所は住所表記には載っていませんが、篠原区というかつての開拓村一帯です。 現在は世帯数にして3百世帯ほどで しょうか。 もうその半分以上が我々のごとき新住民で、別荘も多数存在しています。 もっと下の市街地に住む人たちは、あそこは一括りに"山"とて認識しているようで、 移住当初、ある木の株を探していたら「そんなもんは山に行けばどこにでもあるよ」と造園業の人に言われたことがありました。 その 山というのは私らが住んでいる周辺のことだと知り、事実近所の林で捜し物だった株を発見して失敬し、なるほどそういう所であるかと 思ったものです。 さてその篠原区には5つの組があって、今年は当家がその中の3組組長の任に預かっている年であります。 組長の 仕事は諸々の雑用が多く、特に秋口からは防災訓練とか開拓祭、町(小淵沢町)の体育祭、区の文化祭と行事が軒並みで結構大変 なのです。 今年はこの篠原区への入植が戦後直ぐだったことから開拓70周年に当たり、開拓祭も記念すべき行事となりました。 そこ で、今年は子供達に開拓の歴史を教える紙芝居を作ろうと区長さんからの提案があり、中身は分かり易い漫画風の紙芝居を企画、 その際表紙だけはプロの画家に、ついては栗原さんに、とあいなった次第です。 口車に乗せられて描くことになった紙芝居の表題は 「篠原今昔物語」。 区民の共感を得るにはどんな情景がいいか、どんな色彩とか季節感が懐かしさを演出するか? などなどそれなり に考えて描いた一作が下の一作です。 結果的に評判は良かったようで、ささやかながら区民の皆さんに貢献できて嬉しいことでした。 余談ですがこの紙芝居、絵をスキャンしてPCに取り込み、ナレーションも録音して、上演はプロジェクターとPCを繋いでスクリーンに 写し出すというスタイルです。 自転車の屋台に群 白いセダンが去ったことも、栗の実が落ちていることも、つまりは本格的に秋が始まっていることを意味します。 そういう目で周囲を 改めて見渡すと、漸く我が家のカツラの葉が黄ばんできました。 どうもまだらだし色もくすんでいて鮮やかとは言い難い黄葉の始まりで す。 シラカバも株によっては黄葉が始まっています。 これも我が家のすぐ西隣ですが、広い萱野原 現在はカヤが減って雑草の生い茂 る草地となっている では、気が付けばこれはフジバカマの仲間でしょうか、薄紫の花穂が群落をなしています。 黄色い小さな花は何な のか? 私も然り、我々人間はすぐ名前を知りたがりますが、草地の中に季節が来れば密かに花を咲かせる命がある・・・本来はそ れで十分なわけなのですが。 いずれにしても、今年の秋はどんな具合になるのか、天候不順が黄葉にどう影響するのか。 楽しみと心 配が半々で秋を迎えました。 写真のように、既に高い空が 前回書いた肩凝りの話ですが、その後の経過を少し綴ってみます。 前回書いた6月末以降かなり紆余曲折がありました。 先ず、牽 引とか電気治療はどうも思わしくなく、また通っていた整形外科のリハビリスタッフがいい加減なので自主的に取り止めとしました。 ど うしたものかと思案していた頃、腰痛は脳の誤作動によるとしたNHK特集を目にし、これは頸椎〜肩腕痛にも当てはまるのではと勝 手に解釈して、恐れず身体を動かすことを試み始めたのでした。 痛み止めを服用しつつなるべく身体を動かす、散歩も始める、草刈 りなどの肉体労働もするように方針転換をした訳です。 次に、何人かの勧めで県下でも有名なK整形外科に行って(全て予約制で電 話してからとれたのが何と3週間先でした)MRIもとってもらい詳しく診てもらいました。 診断は同じ お陰様で、あれほど悩まされていた肩と右腕の痛みは、かなり後退した感じで、これが一時的かまだ予断は許しませんが、最近は 毎日欠かせなかったロプソニンも殆ど張らずに済んでいます。 もちろん油断は禁物。 いい気になって長時間PCなどに向かっている と、肩こりの再来のようなものを感じたりします。 それに、首のかったるさとも言うべき症状は相変わらず残っていて、首を快適に保持 してくれるハイバックの椅子もいいものが欲しいという気が強くなってきました。 ついでながら、例のNHK特集の話は、K整形外科の先 生に訊くと、全てのケースに当てはまるわけではないものの、研究が進めば治療シーンも変わってくるかも知れないとのこと。 それと、 私のケースは悪化すると真っ直ぐ歩けなくなる事態となり、そうなったら手術しかないとのことでした。 このところ、毎日とは行かぬまで も散歩も日課となり、ここ2,3日は久しぶりに絵を描いたりもして ) 、まあ少しずつ健全な方向に立ち直りつつあ る・・・そういう実感に我が身を鼓舞しつつ過ごしている夏であります。 肩凝り問題もあって準備もままならず 例えば出展しようとしていた数点は描けずじまいに終わったり・・ 、会場に詰めていれば肩の 痛みが増すだろうとの恐れもあったり、はたまた案内のDMも印刷が上がってみると出来映えは最悪。 こうなるともう開き直り、今回の 個展はあまり気張らずに、軽いタッチの絵も交えて数を揃え、気を楽にして臨もうと思って始まったのでありました。 それが開催後は 雲行きが変わってきたようで、新聞社が3紙もイベント欄に写真入りで取り上げてくれたのはこれまでなかったこと。 先の山日に至って は、小さい扱いながらも取材記事まで出してくれ、そういうことが幸いしたのか新規のお客様も大勢来られ、また今回は昨年9月以来 という短いインターバルりであったことから人々の記憶に新しかったせいか、思いのほか大勢のお客様が足を運んでくれました。 とり わけ、熱心な来場者や、既に何度も来ていただいている馴染みの方々からの熱い視線を感じることができ、開催者として手ごたえの ある個展となったことは感謝に堪えません。 加えて、当地での個展では通常あまり期待 男子である様子。 どんな絵を描くの?水彩? と私。 するとこっくりと肯いてキャリーバッグの中からipadを取り出すのでした。 怪訝な 表情の私に、「デジタル」とその男子はごく当たり前のように言い放ち、その場で画面を開いてストックしてある作品を見せてくれまし た。 そして別に要求したわけではなかったのですが、その場にあった花をモニター上のパレットとタッチペンを使ってサラサラと描き始 めるのでした。 ややあってから再び彼のところに戻って画面をのぞき込むと、確かに花の水彩画が出来上がっています。 なかなか器 用でそれなりの技量と言えます。 背景の表現について少し感想を述べると、意を汲んだ彼はたちどころに消したり別の色を加えたりグ ラデーションを付けたりで、それはそれでかなりいい方向に改善されて満足気ではありました。 「でもや 非日常の卑近な例が常にないクルマの数! それは山麓では滅多にお目にかかれない車列に遭遇したりして、それをやり過ごす べく停止していると、今度は待っている私の後ろにたちまち別の車列ができてしまう・・・という都会生活ではありふれた渋滞に久しぶり に巻き込まれたときに感じます。 都会ではごく普通のことが、この静かな山麓の一交差点で起こっているわけです。 ここでは、クルマや人の往来に交じって時々乗馬の列が通り過ぎます。 何だか久しぶりに表参道(いやいや少し遠慮して千駄ヶ谷界隈?)にでも来たかと錯覚するくらいでした。 施設の駐車場もレストランも 人とクルマであふれかえっています。 この賑わい!面食らうというよりも、かえって懐かしくも思うもので、そうなると腹立たしさなどは打 ち消されてしまうようでもあります。 みんな一生懸 そんなGWに入る以前から、私はかつて経験したこともなかった肩凝りに見舞われてきました。 2週間ほど前からそれは始まって、 はじめは夜も眠れないほど、どうあがいても痛みが収まりそうもない日々を過ごしました。 医者は内臓からくる疾患と関連したものでは ないとの診断で、即注射、その上で張り薬と飲み薬を施され、薬の助けを借りて忍んできたのですが、凝りは方から右腕の超けだる い痛さを伴って飛び火してきました。 漸く痛みが和らいでどうにか普通の一日が遅れるようになったのが、つい2,3日前、それでも根 を詰めて何かをすると痛みがぶり返してくるといった塩梅です。 これまで肩凝りとはほとんど無縁でやってきた私がなぜこうなったの か? 犯人探しをしてみるに、容疑者らしきものが浮かび上がっては せっかくの・・と嘆くのは、この天候のことです。 ようやく4月、桜前線もすぐ近くまで上がってくるというタイミングで、雨や曇天、寒の 戻りと続き、今日まで晴れ渡った日は一日か二日という有様、これだけ日照量の少ない4月はないと言えるのでないでしょうか。 今年 は春爛漫の風景を描いてもらいたいと教室の日程を集中的に4月に配したのですが、どうにか外で描けたのは一回だけ。 今日も朝 窓を開けると青空が!と思っていたのも束の間、一転かき曇り今こうしてFノートを書いている今は、雨音が絶えなくなりました。 この恨 めしい気分を煽っている一因は、最近手にした新しいカメラにもあるのです。 7日に手元に届き、いろいろ設定をやり終えていよいよ サクラなど春の撮影を、と意気込んで以来、日差しが遠ざかったままなのです。 でしょうが、製品の寿命はどんどん短くなり、それに伴ってアフターケアーの体制も部品の用意もどんどん手薄となっているようで、こ れが時代と割り切らねばならないのでしょうか。 モノは大事に長く使うのが美徳と教えられ、そのようにしてきた私などの世代には、何 とも合点のゆかぬ事態であります。 それで買い替えることにしたのですが、いくつになってもカメラ好きの私には、これが格好の言い 訳となり、妻には新しい機種を購入する正当性を堂々と主張できたのでした。 それでこのペンタックスの一眼レフデジカメだけで3台目 に当たるK-3という新しい相棒を手にし、合点がゆかぬなどと怒っていたのも忘れて、諸々の設定やら撮影に嬉々として没頭する有様 なのでした。 話は2週間ほど遡りますが、4月2日の日に思い立って伊那方面に足を向けてみることにしました。 かつては春になると毎年の恒例 行事のように何人か誘い合って山菜採りを楽しみながら伊那の春を過ごしたものです。 その後少しばかり疎遠となっていたのですが、 私らの住む小淵沢からは諏訪に出てそこから杖突峠を越えればもう高遠、つまりはひとっ走りで伊那市に行けるわけです。 それで天 気の良い朝に思いついて出かけてみることにしたのですが、目的は二つありました。 一つは、先日TVで見た高遠蕎麦なるものを食し てみること、もう一つは、フキノトウとアサツキを採取してくることでした。 後者の山菜たちは、先日も触れましたがここらで採れるもの は、どういうわけか(多分八ヶ岳の火山性土壌の問題?)、わが山菜体験の故郷たる伊那の山で採れるものと較べると風味に欠ける のです。 そんなことで、久しぶりに採集民族の血が騒ぐ女房と勇んで家を出たのでした。 高遠蕎麦とは通常の蕎麦つゆの代わりに大根の辛味汁と味噌を混ぜたものを使う食べ方のお蕎麦です。 通常の蕎麦つゆも出てき ますので、いろいろな食べ方が楽しめます。 ・・・という説明は実際に食したのちの解説なのですが、TVで見て美味しそうだったので一 度行って食べてみよう、それならサクラの咲き誇るシーズン前でないと混雑して大変だと、こういう前段があってのことだったのです。 その高遠蕎麦は町の蕎麦屋ならどこでもメニューにあるようです。 私らが行ったのは「壱刻」という店、もちろんネットで調べて評価 の高かった蕎麦屋で、実際に食してみると、これが期待にたがわずなかなか美味なのです!大根汁とお味噌のたれは無論十分に舌 鼓を打たせるものだったのですが、それ以前にこの店のお蕎麦とつゆもなかなかの代物です。 どのような食し方にしてもこれなら美味 いわけで、人間拘って入った店で食べたものが美味しいと、この食体験の喜びは倍加するもので、もうこれだけで杖突峠を越えてやっ てきてよかったと思うのでした。 スミマセン、昨今のブログと違ってメニューやお蕎麦の写真を載せる趣味はありませんので悪しから ず。 レシピの話はいいとして、その近い春の兆しを求め、一昨日は下界にスケッチに出ました。 下界と私が呼ぶのは国道20号周辺、標 高500メートルにも満たない辺りのことです。 この日は武川から韮崎方面にかけて八ヶ岳の遠景を入れたスケッチをしたいと目論ん でのことでした。 行ってみると、さすがに足元はまだ緑なすところまでは至っておらず、通りすがりに見た桜の蕾もまだ固いままです。 それでも大武川の橋の上に出ると、水量は少し勢いを増し、気のせいか水ぬるむ流れが春を運んできているように思えます。 釜無川 方面を振り返ると、新緑では春一番のヤナギが淡い黄緑色となって河原周辺を彩っているのが見えます。 上空は晴れ渡って甲斐駒 や鳳凰三山はくっきりと浮かび上がって見えるのですが、八ヶ岳は中腹から上が雲に囲まれています。 その雲もいずれ動いてなくなる だろうとの読みだったのですが、これが結局はしつこくまとわりついたままで、残雪の稜線がいっとき輝いて浮かび上がったあと、午後 になるとすっかり雲のカーテンで隠されてしま いました。 この日は、遠くからでも釜無川の所在を示す七里岩の壁とそのはるか後方に横たわる八ヶ岳の遠景を絵にしようと企んで いたのですが、こちらの方は当てが外れてしまいました。 高台の展望の効きそうな高台の道の脇にクルマを止め、恨めし気に風景を 眺めつつ目を転ずると、正面に光線の具合で彫を深くした七里岩の壁が立ち上がっています。 そして足元の釜無川縁を沿うように、 あの黄緑色のヤナギの木々が何本か並んで見えます。 今日はこの光景を描くことにしました。 七里岩というのはかつて八ヶ岳が噴火 した際の溶岩や岩屑流が遠く甲府盆地の方まで押し出し、その堆積した台地が長い年月をかけて釜無川に浸食されてできた断面と いうことです。 その長さがおよそ30kmに及ぶことから、七里岩と命名され 当たりにしているわけです。 太陽光発電=エコロジーの促進を謳い文句に、市の需要を上回る電力供給基地を造ることと、その分市 の財産たる貴重な緑を失っていくエコロジーロスとの天秤を市は一体どのように考えているのでしょう。 太陽光発電の事業者にとって の関心は、エコロジー以上に事業益であろうことは想像に難くありません。 この問題は追及し出すとFノートの趣旨とはどんどんかけ離 れていくので、一市民の疑念と嘆きとしてこの問題に触れるにとどめます。 私や大勢の移住者たちが魅力を感じてやってきたこの北 杜市の大事な資産、それが削り取られていく姿を見るのは慚愧に耐えません。 最近はこうした動きを抑制すべきとする市民運動も始 まっていますが、健全で良識ある行政の舵取りを強く期待するのは私だけではないはずです。 それは、春の図「萌木色 の集落」から始まって、夏の図「草緑色(そうりょくしょく)の集落」、秋の図「山鳩色の集落」、それに冬の図「藍色の集落」の4図からな っています。 それぞれの絵の色調から和の色を当てて絵の題名としました。 今回の作品を描くに当たっては、風景からインスピレーシ ョンを得た色調を大事にし、それを基調として彩色を施してみました。 しかし、描いているうちに当初頭の中にあった色調とは微妙に 変わっていったりするもので、従って、出来上がった画面の色調からそれに近い和の色を当てて絵の題名としてみた次第です。 その 際、一応語呂もいい色名を拾ってみました。 ちょっと回りくどい命名と受け取られるかもしれませんが、日本の原風景である集落を描 いた4図として、どこか和風の題名としたいという洒落心が湧いてきたわけであります。 絵の題名となった色調以外にも、今回の4作 は画風についてもそれぞれ異なった雰囲気を現そうと心がけ、それぞれを異なったタッチで描いてみたものです。 集落に関して、それをなぜ絵にする機会が増えてきたのか、すでに何度か個展の際の一言で書いてきましたし、拙著「栗原成和の 水彩画集」でも綴っております。 この八ヶ岳山麓に移住してきたのは、絵心という観点から言えば、大自然の風景を描けるという環 境あってのことでした。 特に山々、それも峻厳な岩峰はずっと私を捉えてきたモチーフです。 そういう風景を求めて走り周り絵にしてき た私ですが、特にこれというきっかけとか閃きを得た覚えもないまま、いつの間にか私の眼山間の集落に向いていたのです。 ただ、当 地の風景を描いていると、その一景として家屋を描き入れることが多く、それが積り積もっていつの間にか家屋から集落へと視線が 向いていたという背景はあります。 山間の人里、それも昔の名残をとどめた集落に惹かれていった感応の根底にあるものを探ってみ ますと、やはり自分自身に内包されている日本人のDNAともいうべきところに辿り着きます。 日本の原風景に触れる想い、それも衰退 していく原風景を惜しむ心情が、私の絵心を少しずつ刺激し、絵筆を動かしてきたようなところがあるのです。 この4図に命名すること になった和の色に通じる心持ちも同じところにあると言えるでしょう。 という次第で、季節ごとの掲載というこれまでのやり方から外れ、この4図を一つのテーマとしてまとめて掲載することとしました。 原 画は次回の個展(5月29日から10日間、北杜市)で展示する予定ですが、季節色の起承転結を当サイトでお楽しみいただければと 思います。 なお、秋の図「山鳩色の集落」は、 モノトーンでの制作過程で一旦 筆を止め、さてその先をどうするか思案した一作です。 その後、秋の気配を最小限の色合いを施して完成させてみました。 制作の過 程を垣間見ていただければと思います。 ここから野辺山方面への下りもまた深雪の中ですが、今度は緩い下り傾斜なので先ほどよりは気が楽です。 轍の数も増えているこ とから、大半のクルマはこちらから上がってきたことが分かります。 途中上がってくるクルマとすれ違うと厄介だと思っていたら案の 定、カーブの先から喘ぎながら登ってくるクルマが。 半分以上深雪に入り込んで待機、相手もまた私のクルマをかわすために半分ほ ど深雪に入り込みむと、今度はそこから脱出するのにかなり苦労しています。 後退から前進を繰り返し、漸くすり抜けてゆきました。 や がて山道を下りきって再び国道を走り、今度は広大な畑の中を抜ける農道に。 峠道の深雪を走ってきたあとですから踏み固められた 雪道はもうハイウエイのようなもの。 いつの間にかスケッチや取材そっちのけでドライブを楽しんでいる自分がいます。 オレも結構若い もんだ・・・と一人悦に入ってその先へと雪の野辺山を疾走するのでした。 それで今朝は積雪が十数センチ、結構冷えているので雪も締まっていそうです。 これでは行かないわけにもゆかず、朝食を済ませ てから早速クルマの雪落としにかかったのですが、陽は昇ったのにフロントガラスを厚く覆った雪は凍っていて簡単には融けそうもあ りません。 デフロスターを目一杯効かせ、根気よくブラシで剥がしにかかり悪戦苦闘すること15分ほど、漸く小さなブロック片となって 剥がれるようになりました。 まだ氷点下3度の中を出発、こんな日でも散歩を欠かさない犬ずれのご近所の方とすれ違いざま挨拶を 交わし、凍った坂を下って目当ての場所を目指します。 通勤らしいクルマがちらほら走っているだけで、ところどころ日陰が青くなった 道は、人気もクルマっ気もなく静かなものです。 こんな朝に仕事でもないのに出かける私などは物好きでしかないわけで、そのように 人に見られるのは今もって憚れる処是あり、雪かきをしている小道などは敬遠して入ってゆきません。 積雪そのものが少なかったのと気温上昇が速いせいか、木々に着い た雪が少なくなってきて、風景に占める白い割合が少なくなっています。 私の住む千メートル辺りの厳しい冬景色とは明らかに趣を異 にしています。 それで、移住当初街中で良く耳にしていた「この分だと山は雪」という言葉を思い出し、自分たちが住んでいる八ヶ岳高 原と括られる一帯の環境を改めて実感したりするのでした。 それでもよく訪れる下笹尾の集落に来てみると、茅葺の民家も雪帽子をかぶり、そのずっと奥の高みに甲斐駒が斜光を受けて輝い ています。 予想通りいい雰囲気の雪の朝、たちまちいくつかの画想が頭に浮かびます。 どういうわけかこの雪景色にしても古い民家、 それも古い家ほど似合っているのです。 轍もない農道に分け入って何枚か撮影、この日はスケッチブックをもってきていないので、も っぱら撮影に終始しました。 この辺の枝道はまだほとんどクルマも走っていないようで、走るとタイヤが雪を押し付ける軋み音が心地 いいのです。 変わった人だと他人は思うに違いありませんが、私は私、こういう時間が楽しいのです。 いつの間にか没頭している自分 に気付いたりで、考えてみると、もう十年ほどこういうことをやってきたことになります。 そしてこういうことをしたいからクルマも頼もしい 相棒を選んだわけで・・・などと振り返り思いながら、移動を続け撮影をし続けるのでした。 ここ八ヶ岳南麓では、うっすらと雪をかぶって迎えた元旦、日中になっても氷点下という真冬日でした。 そんな中、朝は一番でコンビ ニに 新聞を買いに ゆきました。 何度か書いたように思うのですが、当家は主要道から入り込んだ枝道の突当りにあるので、ここまで は新聞配達をしてくれないのです。 それでせめて分厚い特集がたくさんある元旦号くらいは目にしたいものと、毎年これを買いに行く のが元旦の恒例行事、御神酒と多少のおせちの始まる前に行ってくる必要があるわけです。 氷点下5度で、まだ道は凍結状態、山は 雪雲をかぶっていて中腹以下しか見えません。 この辺も年越しを過ごす人が結構いるようで、2,3日前からクルマも増えています。 ま してや今朝などは初詣客でコンビニとは反対方向の身曾岐神社方面はさぞかし賑やかだったことでしょう。 何しろ県下では甲府の武 田神社に次ぐ二番目の初詣動員数を誇る神社です。 当家は記憶にある限り初詣など行ったことがないので、むろん当地に移住して からもお参りとは無縁です。 お神酒と雑煮をいただいてからTVで全日本駅伝を観戦、と言っても途中からほろ酔い気分で寝入ってしまいましたが。 まあ、年末 年始のTV なんて、どのチャンネルを回しても似たような雛壇タレントの百花繚乱、それも大半は事前に撮り終えたものです。 めでた そうに賑々しくやっていますが、娯楽とは言えその安っぽさとどの局も同じ金太郎飴具合は見ていて辟易とさせられるものです。 と文 句をいいつつも、TVを観ている私はやっぱり一緒になってバカになっているということで、まあ新年早々ガミガミ批判しても始まらない か・・・などと弁明しながらTVに現を抜かしている次第です。 年賀状 がいつまでたっても配達されません。 もう夕方4時、こうなると年賀状などの習慣は、当地のような郵便僻地ではもう止めた 方がいいようにも思えます。 私は元来、なるべく年賀状の出し入れは少なくしたいと思いつつ、それでももらえば返事を書かねばという 気はあって、だからこそ、元旦にもらった分はその日のうちに返事(と言ってもさりげなくこちらも始めから出したと思わせたいところが 半分で)を投函しておきたいところなのです。 それなのに、日も暮れかかっても配達がないとは何とケシカラン話でしょうか。 日本郵便 (株)もあれだけ宣伝するなら、せめて元旦のうちは周到な配達体制を築いておくべきです。 これでは若者ならずとも、年賀状離れは やむを得ない話だと、新年早々腹立たしく思うのであります。 二日になれば朝から 箱根駅伝 の観戦、これは毎年の楽しみです。 食卓に座っているときからちらちらTV画面に目がゆきます。 この 日も御神酒が回って観戦場所をソファに移す頃は、まだスタート直後の団子状態。 これからばらけだすと俄然面白味が増してきます。 私どもは現役時代に国道に近い大井町の社宅に住んでいたことがあり、その当時はこの箱根駅伝でも東京マラソンでも、沿線に繰り 出して見物したものです。 TVを観ていて先頭が品川の八ツ山橋にかかる頃合いを見計らって社宅のある高台から1号線に下りていく のですが、その時は既に先頭が通り過ぎてしまっていることもあり、ランナーたちの予想以上に速いスピードに驚かされたりしていまし た。 その点、TV観戦だと、時としてほろ酔い気分で居眠りしてしまったりで、楽ちん気分なTVのこちら側と過酷なレースを繰り広げる TVの向こう側という、この距離感を楽しめるのがやっぱりお正月の醍醐味と言えるかもしれません。 3日になると、TVにも飽きて時折 アトリエで絵 をいじくったりします。 まあ描き初めということになるのですが、絵は昨年末よりデッサ ンを起こしておいた一点で、その彩色にかかりました。 こうなると、この先どう彩色を施したものかどう か、少し迷ってしまいます。 カラー写真をモノクロに編集してみるとなかなかいい感じ!ということはよく経験しますが、これが生の絵と なると簡単に編集というわけにはゆきません。 この時点で進路決定をしなければならないわけで、どのように彩色するとどうなるの か、最大限の想像力を働かせねばならないことになります。 こうした想像力…イマジネーションをフル回転させるところが、透明水彩 の絵を制作する上では結構大事な刹那になると言えるかもしれません。

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思い 思 われ 振り 振 られ 漫画

何年振りかで三ツ峠に行ってきました。 昔は週末になると新宿から富士急行線に乗り入れする、夜行のハイキング列車が出ていました。 それを利用して良く登ったものです。 三ツ峠は、大菩薩嶺、谷川岳などとともに夜行日帰りの山として人気の山でした。 今は夜行列車が無くなりましたので、自宅を早朝に出ても日帰りはちょっと厳しくなりました。 そこで頂上で1泊して朝夕の富士山をたっぷり楽しむことにし、河口湖からタクシーで三ツ峠登山口まで行き、そこからゆっくりと小屋に入りました。 気象情報で、翌日は今秋一の寒気が南下してくると伝えていましたので期待していましたが、富士山は期待通りの秀麗な姿を見せてくれました。 下山は河口湖へ。 風が強くなり、落ち葉舞う中を正面に富士山を眺めながら天上山までの尾根道をのんびり楽しみ、最後はロープウェイで一気にと思っていましたが、この強風でロープウェイは運休。 止むを得ず歩いて下ることになりましたが、この下山道、花の時季には楽しめそうな道でした。 昨日教えられて撮った私にとっては初めての鳥。 帰って開いてみたらやっぱり今一。 今日再挑戦で午前中粘ってみましたが、空振り。 代役を務めてくれたのがエナガでした。 これもわがHP上には未収録でしたので、仕方がない、これでもエーナガ。 じゃなかった、えーがな(これ関西弁)。 午後は予約しておいたインフルエンザの予防接種。 病院までの往復1時間余り、カメラを持って歩きましたが収穫なし。 少し汗ばみましたが、予防接種をしたのだからと安心していたらぞくぞくして来ました。 これはインフルエンザの予防接種、しかも効果があるのは2週間先からだと。 後の祭り。 今夜は風呂とお酒は止めて下さいと言われた。 風呂はともかくお酒はつらい。 でも医者に言われない限り休肝日を作れないのだから、今日1日くらい、まーえーがな。 今日、飛騨自慢の純米生酒「鬼ころし」を頂きました。 よく冷やして早速味わってみました。 美味い。 爽やかで飲みやすい。 が、辛口特有のキレがある。 それでいて芳醇なコクがあります。 どこかで聞いたコマーシャルのようですね。 つい飲み過ぎてしまいそうですが、それが危険。 後からじっくりと効いてきます。 わが家のオッ家内も一口飲んで美味しい。 二口飲んでメロメロ。 まさに「鬼ころし」ならぬ「鬼婆殺し」。 これは飛騨高山の老田酒造のお酒。 全国に「鬼ころし」というのが沢山あります。 その中で今夜飲んだのが一番美味い。 と言っても他のはほとんど飲んでいませんが。 高山には若い頃随分行きました。 有峰から太郎に登り、槍を目指した帰り。 裏銀から、表銀座から、笠ガ岳から。 槍ガ岳からの帰りは決まって喧騒の上高地を避け、鄙びた穂高温泉郷に宿を取り、翌日高山市内を見物して帰ったものです。 1本の「鬼ころし」。 北アルプスの峰々を歩き回った、わが若かりし頃の青春の山を思い起こさせてくれました。 100万本以上のヒガンバナが咲くという巾着田に行ってきました。 お彼岸の頃に咲くので彼岸花。 ちょうど今頃は田圃の畦道、民家の庭先、あるいは墓地などどこででも見かけることが出来るのですが、これほどの群落はさすがに見事です。 中国原産の花ということですが、古くから日本に伝来しています。 高麗の里にふさわしい花といえるのではないでしょうか。 7世紀の半ば、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗から多くの人が日本に渡ってきました。 続日本紀によりますと、霊亀2年(716年)5月16日、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七ヵ国にいる高麗人1795人を武蔵の国に移住させ、初めて高麗郡を置いた、とあります。 だから高麗の里には高麗神社、聖天院など高麗人ゆかりの寺社や史跡が沢山あります。 それらと満開のヒガンバナを結んで歩きました。 赤い花なら曼珠沙華 和蘭屋敷に 雨が降る 残念ながら高麗の里も雨でした。 ヒガンバナは曼珠沙華とも言いますが、これは梵語で「赤い花」という意味だそうです。 球根には毒があるので、ネズミやモグラは敬遠します。 だから田圃の畦道などに植えたのでしょう。 ヒガンバナの花言葉は「思うはあなた一人」。 慣れない作業のためにここ数日PC張り付いているせいでしょうか、お尻から背中にかけてひどく痛くなってきました。 同時に目も霞んできました。 (これは年のせい?)そのうえ思うように捗らないイライラが高じて胃までおかしくなってきました。 (こちらは飲み過ぎ?)(苦笑) これではいけないと、目の保養を兼ねてコスモス畑に行ってきました。 清々しい感じのするコスモス、今では日本の秋を代表する花になっていますが、原産地はメキシコだそうです。 漢字では「秋桜」。 コスモスはギリシャ語のKosmosが語源で、こちらは「宇宙」と言う意味があります。 どちらも山口百恵の歌。 花言葉は「調和」。 やはりギリシャ語からきているそうです。 真っ青な空を背景に、そこに赤トンボでも飛んでくればまさに日本の秋〜ですね。 心休まります。 新しいザックを買ってきました。 これまで使っていたザックの背負いベルトが擦り切れてきたからです。 形は今までのと同じですが、材質が今までのナイロン製から帆布製に変わりました。 その分少し重くなったように感じます。 最近のザックにはやたらに紐がついています。 どのように使うのか私には分かりません。 アイゼン、ピッケルを取り付ける紐 ベルト は以前もありましたが、私にはもう必要ありません。 ザックを網棚に上げるとこの紐が何本も他人の頭の上にぶら下がります。 ドアーサイドに立てかけると、長い紐が床を這い回り邪魔になります。 ちょっとオーバーかな) そこで、シンプルなものを方々探してようやく神田のスポーツ店で見つけました。 そういえば、これまで使っていたのも同じ店で見つけたものでした。 この手のものはあまり出回っていません。 ザックは、大は小を兼ねません。 山行目的に応じていろんなザックを使い分けていました。 だから、ザックだけで14・5個あります。 今ではほとんど使わなくなり、押入れの奥で眠っています。 夫々わが若かりし頃の思い出が詰まっています。 若い頃はキスリングザックで40kg近くを担いだこともありますが、今では10kgを超えるとハフハフです。 このザックくらいの山がちょうどいいのでしょうね。 早く出かけたくなりました。 昨日、佐倉の歴史民俗博物館へ行ってきました。 「江戸の旅から鉄道旅行へ」という企画展が催されており、その招待券を頂いたのですが、昨日が最終日。 ギリギリ間に合いました。 江戸の、徒歩による移動の「旅」から、近代の鉄道による移動の「旅行」への移り変わりをいろんな資料を交えて楽しく解説していました。 江戸の庶民の旅の一番の目的はお伊勢参りでした。 しかし伊勢神宮にお参りするだけでなく、街道筋の名所旧跡を訪ねたり、神社仏閣にお参りしたり、宿場ではその土地の名物料理を食べるのも大きな楽しみでした。 行きに東海道を歩き、帰りは中山道を歩くという周遊型の旅をしたのもその現れの一つでしょう。 街道筋では、いろんな見所や品を旅人に紹介し提供してもてなしたことでしょう。 これを街道すべてがアミューズメントパークという概念で捉えています。 近代になって鉄道網の発達に伴い、旅人は座席に座っていながらにして目的地まで運ばれます。 途中の景色もゆっくり楽しむこともなく車窓を飛び過ぎていきます。 お昼時、列車の止まる駅で窓を開けて、その土地の特色ある弁当を買って食べるのが楽しみでしたが、今は窓も開きません。 道中=アミューズメントパークの概念が崩壊した。 と、企画展は解説していますが、なるほどと感心しました。 旅の楽しみ方もいろいろあります。 これからの旅、どのように変わっていくのでしょう。 鉄道の歴史の中に、昭和34年、初めての修学旅行専用列車「ひので」「きぼう」が運行される。 とありました。 確か私の勤めていた会社が取り扱いの第1号だったと思います。 社内でも大きな出来事の一つとして取り上げていました。 私が入社して2年目でした。 もう半世紀も前のことです。 昨日は懐かしい思いで1日楽しんできました。 このところ手賀沼周辺にしばしば怪しげなるものが徘徊している。 といってもこれは珍鳥の話。 これもその一つ。 アメリカウズラシギ。 旅鳥ですが、日本は渡りのコースから外れているらしく、稀にしか現れない珍しい鳥だそうです。 発見者のIさんが居て教えてもらえたのですぐ分かりましたが、私1人だととても無理です。 そばに居たヒバリシギとよく似ていて、1羽ずつだと区別がつきません。 こうして並ぶと、大きさ、胸の黒斑で違いが分かりますが。 それにしても良く見つけたものです。 ベテランのIさんはこの辺り広範囲に毎日のように観察しています。 それだからちょっと変わった鳥もすぐ目に飛び込んでくるのでしょうね。 しかし相変わらずブレにピン甘。 帰って期待して見ましたが、どこかの国の野球のようにドウにもなりません。 黒百合は恋の花 愛する人に捧げれば 二人はいつかは結びつく 昔流行った、菊田一夫作詞で織井茂子が歌っていた「黒百合の歌」です。 好きな歌でした。 黒百合の花言葉は「恋」なんですね。 ところが、もう一つ「呪い」という花言葉があります。 イメージが全く逆ですね。 それにはこんな話があります。 天正12年(1584年)豊臣軍に取り囲まれた富山城の城主佐々成政は、家康に助けを求めるため雪の針ノ木峠を越えて駿河に向かいましたが、家康には断られ、止む無く戻ってきました。 帰ってくると、留守中に愛妾の早百合姫が家来と仲良くなっていたとの噂を耳にし、確かめもせず成敗しました。 早百合姫はいまわのきわに、立山に黒百合の花が咲いたとき佐々家は滅びるでしょう、といって呪い死んだといいます。 その後立山に黒百合が咲き、程無くして成政は秀吉の不興を買い、打ち首になって佐々家は滅びたということです。 「恋」と「呪い」。 全く正反対のように思いますが、恋が原因ですから、関連しているのですね。 ユリ科の花ですが、黒というより濃い紫色で毒々しいですね。 白山室堂に群落がありました。 手賀沼の近くの休耕田に珍しい鳥が来ているというので、今朝早く行ってみました。 アカエリヒレアシシギではないかとのこと。 それと思しき水の張った休耕田を双眼鏡で探しましたが見当たりませんでした。 場所を変えようと車に戻りかけましたら、なんとすぐ足元にいるではありませんか。 図鑑を見ますとまさしくアカエリヒレアシシギです。 くるくる動き回り盛んに餌をついばんでいます。 ちょっとキョウジョシギに似た色合いですね。 カメラを構えてシャッターを押し続けました。 ほんの4〜5mのところです。 全く警戒する様子ではありません。 「野鳥の事典」を見ますと、鈍感で人が近付いても平気のこともある。 とありましたので笑ってしまいました。 近くをワシタカ(なんだか私には分かりませんでした)が飛びすぎましたが平気。 すぐ近くにハクセキレイが降り立ちましたが動じることもなく堂々としています。 たった1羽でした。 旅鳥で南へ渡る途中に迷い込んだのでしょうか。 永年気になっていた白山へ行ってきました。 加賀の白山は、駿河の富士山、越中の立山とともに日本三名山と言われ、古くから多くの人に親しまれ、登られています。 このうち立山にはアルペンルート観光の途次、剣岳の帰りに、大日岳へのスタート地として、有峰から薬師を越えての終着地として何度か登っていますが、他の2山にはこれまで機会がありませんでした。 それは多くの人に登られているだけに、登山道も整備され、宿泊施設も整っており、いつでも登れるという気があったからかもしれません。 しかし、そういつまでものんびり構えている訳にも参りません。 今年になって山仲間から声を掛けられたのを機会に、花の季節に実行しようと計画を立てました。 白山は花の種類の多いことでも知られています。 のんびり写真を撮りながらと考えていましたが、結果は散々でした。 加齢とともに訪れる体力減退のことをすっかり忘れていました。 幸か不幸か快晴で、暑さも手伝ってもう途中でバテバテ。 途中で宿泊場所の室堂センターには生ビールがあると聞いたのが幸いし、俄然ピッチが上がり、多少の遅れで転がり込むことが出来ました。 冷たい生ビールの美味しかったこと。 今回私たちのとったコースは、観光新道を登り、砂防新道を下るコース。 地元の人に聞いてみると観光新道は急坂が続き大変なので、砂防を登り観光を下るのが一般的とのこと。 ならばあえて観光新道を登ろうということになりました。 なぜならば、足腰が弱くなってくると下りが特に危険を伴います。 中高年登山者の事故で最も多いのが、下りに起こる躓きや滑落だそうです。 観光新道の段差の大きい急な登山道を歩いてみて正解だったなと思いました。 中央学院大学の陸上部は、箱根に向けて練習が続けられています。 今年の箱根駅伝ではこれまで最高の3位に入りました。 来年はさらに上を目指して頑張ってもらいたいものです。 地元として声援を送りたい。 もう一校応援しているのが山梨学院大学です。 こちらは、私が最後に勤務した箱根のホテルを宿舎として使っていただいていました。 1月2日の夜は、当日走り終えた選手と応援団、それにマスコミなどでホテルは超満員。 私の仕事は元日に箱根神社にお参りし、商売繁昌と山梨学院の優勝祈願。 そしてお札を上田監督に渡すことでした。 そんな訳でどちらも頑張ってもらいたいと思っています。 それにしても彼らの走りを見ていると惚れ惚れします。 上半身不動。 頭の上下がまったくありません。 動いているのは手足だけ。 近くでジョギングを楽しんでいる人を見かけますが、こちらはピョンピョン飛び跳ねているだけ。 スピードが全く違います。 尤も自分はピョンピョン飛び跳ねることも出来ないのですが。 昨日、大菩薩嶺へ行ってきました。 昔、新宿0時10分に出る夜行普通列車があった頃は、夜行日帰りの格好の山として何度も通いました。 確か2時半頃に塩山に着き、少し離れたバス停まで歩きしばらく待ちます。 まだ暗いうちに裂石に着き、ここから歩き始めて大菩薩嶺に登り、そこから丹波路を丹波へ、牛の寝通りを小菅へ、小金沢蓮嶺を湯ノ沢峠へとそれぞれ歩きました。 夜行列車もとっくの昔になくなり、さらに体力の無くなった今は峠の小屋に泊まらない限りこんな歩きは出来ません。 しかし、今は福ちゃん荘という山頂まであと1時間というところに建つ小屋の前までタクシーで行けます。 これを利用すれば日帰りで山頂から峠までの2000mの稜線歩きが楽しめます。 昨日もこれでした。 下では30度を超える暑さが続いていますが、2000mの稜線を吹きぬける風は、さすがに爽やかで気分爽快です。 峠からの下りは昔からの登山道を裂石まで歩きます。 6時前に自宅を出て歩き始めたのが10時30分。 帰りは裂石に17時に下りついて、大菩薩の湯で汗を流し、湯上りに冷たいもので喉を潤し、18時半に出て我が家に着いたのが22時半。 やはり遠いですね。 帰りに駅から乗ったタクシーの運転手に、登って良かった山はどこか、と聞かれました。 良くある質問です。 でも山それぞれに特徴があり、良い山を選ぶのは難しいですね。 まして100名山なんて限定することはとても出来ません。 でも、自分にとっていつまでも思い出に残る山はいくつかあります。 その山の共通点は、一緒に登った気の置けない楽しい仲間との山旅です。 昨日の山も思い出の山になりそうです。 そんな山旅をこれからも重ねたいと思っているのですが。 きのう、散歩の途次、排水路で生まれて間もない可愛いカルガモの赤ちゃんを見ました。 いつもはカメラを持って歩くのですが、昨日はコンパクトカメラだけ。 こんな日に限って何か出るんですね。 それで今朝は、カメラを持って再び出かけてみました。 いました。 昨日と同じところに。 ところが、昨日は確かに9羽いたのですが、今日はどう数えても8羽しかいません。 一夜のうちに何者かに…。 自然界の定めとはいえ胸が痛みます。 立派に独り立ちできるまでまだまだ苦難が待ち構えているでしょう。 このうち何羽育つのでしょうか。 この排水路には、別に6羽と4羽の雛を連れた一家がいました。 こちらは少し大きく育っていましたが、彼らも最初はもっと兄弟がいたのでしょうか。 久し振りに尾瀬に行ってきました。 と言っても檜枝岐に泊まって尾瀬沼を往復しただけですが。 目的は花の旅。 尾瀬は水芭蕉が終わって、ニッコウキスゲまではまだ1ヶ月ほどあります。 この間どんな花があるのでしょうか。 楽しみです。 ニッコウキスゲのような派手な色の花がありませんので、遠目には何も見えず寂しい気もします。 でも湿原を行くと、ワタスゲ、タテヤマリンドウ、リュウキンカ、シナノキンバイ、イワカガミ、オオバタチツボスミレ等等、さすが尾瀬です。 数多くの花が群落でその美を競っています。 このミツガシワもその一つ。 図鑑によれば、花は漏斗形で深く5裂するとあります。 帰ってからこの写真を良く見ますと5裂ではなく6・7裂に見えます。 もしかして新種発見!なんてことはないですね。 現物をもっとよく観察しておかなければと反省しました。 カメラを持って、図鑑を持って、拡大鏡を持って、だんだん荷物を担げなくなってきましたのに困ったことです。 それでも鳥に比べれば、その花の時期にそこへ行けば確実に撮らせてくれるから助かります。 鳥はレンズを向けただけで飛んで行くものもいますから難しいですね。 金町にある「江戸名所しばられ地蔵」。 このお地蔵さんを荒縄で縛ってお願い事をすると、あらゆる願いが叶うそうです。 願いが叶うと縛っておいた縄を解くと言うことなのですが、この縄どんどん増える一方で減る様子が無く、毎年大晦日にまとめて解くそうです。 このお地蔵さん、霊験あらたかでない訳ではないのでしょうが、悩み事を持つ人が多いのでしょうか。 願い事が多過ぎて追いつかないのかもしれませんね。 このお地蔵さんには大岡裁きのお話があります。 あるとき、江戸日本橋小伝馬町の木綿問屋の手代が、さらしの反物を満載した荷車を南蔵院の門前において昼寝をしていたところ、起きてみると荷車ごと反物がなくなっていました。 驚いた手代は奉行所に駆け込んだところ、時の名奉行大岡越前は、「寺の門前に立っていながら泥棒の所業を黙って見ていたとは、地蔵も同罪だ」、と言って荒縄でくくって奉行所に運ばせた。 市中の野次馬連中は、どんな裁きをするのだろうと、ぞろぞろついてきてそのまま奉行所に入ってきた。 全員が入ったところで門が一斉に閉められ、出られなくしてしまった。 驚いた人々に、越前は「勝手に奉行所に入った罰として、各人さらし一反を納めのように」と申し渡した。 翌日納められた反物を調べてみると、盗まれた品物が交じっていたところから犯人が分かり、捕らえられたと言うことです。 それ以来このお地蔵さん、盗難除けをはじめ厄除けに効験あると言われており、荒縄で縛られるのもそのせいかもしれません。 今日はちょっとばかり蒸し暑くなりました。 午後近くの根戸の森に行ってみました。 木々はすっかり深緑となり、頭上を覆い尽くしていますので、森の中は薄暗くなっています。 ホトトギスの鳴き声が聞こえてきますが、姿を見つけることはできません。 薄暗い森の中にほの白く浮き出た一角がありました。 ドクダミの群落です。 一つ一つはさほどではありませんが、群落になると見られますね。 白い花弁のように見えるのは実は苞です。 花は真ん中の棒状のところに無数についている黄色いのがそうです。 形は違いますが、水芭蕉と同じですね。 八重のドクダミというのもあるそうですが、まだ見たことはありません。 ところでドクダミとは嫌な名前ですね。 小さい頃裏庭にも沢山ありましたが、名前を聞いて好きになれませんでした。 「毒痛み」が転訛してドクダミとなったそうですが、毒痛みとはどういうことでしょう。 ドクダミというから毒草かなと思っていましたが、そうではないんですね。 切り傷、擦り傷、虫刺されなどに効く薬草なのです。 そのほか10の薬効があるというので「十薬」という別名があり、俳句などに歌われています。 そういえばドクダミ茶というのもありますね。 これから虫の多い季節です。 虫に刺されたときに試してみましょう。 無視できない花ですね。 我孫子市鳥の博物館。 わが国でたった一つしかない鳥専門の博物館です。 「人と鳥の共存をめざして」をキャッチフレーズにして、自然を大切にする我孫子市ならではの施設といえます。 収蔵する標本は、本剥製約2000点、全身骨格約430点など総数で3000余点。 このうち鳥の剥製が400種と骨格、羽毛、卵など200点が常時展示されているので、日頃見られない珍しい鳥もここでは身近に観察することができます。 特に図鑑では鳥の大きさなど実感できませんが、ここでは他の鳥と見比べて、その大きさや姿形など比較できるので大変勉強になります。 博物館では鳥の剥製を展示するだけでなく、鳥や自然環境に関する講演会、自然観察会、探鳥会などの催しも随時行われています。 博物館へは我孫子駅又は天王台駅からバスで市役所前で降り、徒歩5分ほどです。 また土・日・祝日には、我孫子駅〜鳥の博物館前〜天王台駅のバスが運行されています。 万葉集に出てくる「宇万良(うまら)」というのは茨で、芳香を放つノイバラのことだそうです。 日本にはバラ属の野生のものは13種あるそうですが、今庭園などでよく見るバラのほとんどは西洋から入ってきた観賞用に品種改良されたもので、いったいどれ位の品種があるのでしょうか。 写真のバラはノイバラではありませんが、谷津バラ園で撮ってきたもので、一つ一つ名前がついているのですが、舌を噛みそうなので覚えてきませんでした。 どれもきれいな花ですが、うかつには手が出せません。 きれいな花には棘があると言います。 今朝もTVで山梨県のバラ好きの方のお庭から中継していましたが、それは見事でしたね。 広いお庭がバラ一色(いや、色は多色でしたが)。 オープンガーデンだそうです。 道のへの 茨の末に 延ほ豆の からまる君を はかれか行かむ (万20-4352) 道端の茨の先に まつわる豆(ノイバラの実)のように まつわる君 そんな君を置いて別れて行かなければならないのか。 これは防人の歌で、詠み人は天羽郡(今の富津市の南部の辺り)の丈部鳥 君を妻とする説もありますが、万葉集では君は男性や主君を指すので、これは自分になついている主家の若君のことを言っているのだろうとする説もあります。 妻は妹で君と詠ったものはありません。 でも、今風に妻とか彼女と思ったほうがなんとなく良いですね。 このブログは、花有り、鳥有り、歌有り、史跡有りで、バラバラですね。 歩く会で我孫子の自然や史跡を訪ね歩いてきました。 私より年齢が上の方も何人かおられました。 皆さん元気で、見学の時に立ち止まる以外は腰を下ろすこともなく4時間弱歩き通しました。 帰ったら市から「介護予防のための基本チェックリスト」というのが送られてきていました。 心身の機能低下を判定するもので、この回答で機能低下と判定されたら予防するための施設を紹介しますとのことです。 大変有難いことです。 質問を見て行きます。 ・バスや電車で1人で外出していますか。 ・15分位続けて歩いていますか。 ・周1回以上は外出していますか。 4時間も歩いてきたばかりだし、勿論「はい」です。 これなら大丈夫かなと思って先に進むとだんだん心配になってきました。 ・預貯金の出し入れをしていますか。 (ウーン。 わが家の通帳はオッ家内にがっちり握られていますからねー。 「いいえ」) ・階段を手すりや壁をつたわらずに昇っていますか。 (昇りは平気ですが、下りがねー。 下りのことは書いていませんから、これは「はい」でしょうか「いいえ」でしょうか。 質問を書いた人は若い方なんでしょうね。 ) ・今日が何月何日かわからない時がありますか。 (毎日が日曜日になってから、アレッ今日は何曜日だったかなと思う時がたびたびあります。 「はい」) こんな回答を出すと、再度生活機能検査の受信券が送られてきそうです。 それで検査を受けて必要となると介護予防事業への参加のお誘いがあるということです。 この事業の名前が「おたっしゃ暮楽部」というのだそうです。 人生を達者で楽しく暮らそう、という意味のネーミングだと思うのですが、どうもひねくれものの私には、暮という文字から、日の暮れ(1日の終り)、年の暮れ(1年の終り)を連想し、人生の終わりという意味かなと考えてしまいます。 「後期高齢者」同様嫌なネーミングです。 先日A新聞の千葉版に全写連の作品が掲載されていた。 昨年5月に撮ったというコブハクチョウ親子の写真だ。 春が来ても帰らないハクチョウの親子が…。 という説明が付けられていた。 コブハクチョウはもともと愛玩用として飼育されていたものが野生化したもので、留鳥として生育し、コハクチョウやオオハクチョウのように渡りはしない。 大新聞ともあろうものがと驚いた。 ところで手賀沼でも毎年今頃になると10数羽の雛が誕生する。 にもかかわらずそんなに増えているようには見えない。 何処へ行くのだろうと思っていた。 先日手賀川の下流を車で通ったとき30羽ほどのコブハクチョウが屯していた。 手賀沼で無事成長したコブハクチョウは、生活圏をこことか周辺部に広げているようだ。 先の写真も印西市とあったからこの中のどれかかもしれない。 昨日は歩こう会で利根運河を歩いてきました。 利根川を遡り、関宿を経て江戸川を下る水運路も、輸送量が増えたため、両川をショートカットして結ぶ全長8kmの運河が開削されました。 利根運河です。 完成したのは1890年。 それから118年。 周辺の台地や谷津とともに美しい自然景観が保たれて来ました。 美しい堤防には沢山の種類と数の草花がびっしり。 よくもこれほどと思う暗い沢山の数に驚かされ、感心しました。 地元の方の自然を護ろうとの熱意の賜物でしょう。 花の写真を撮るために何度でも訪れたいところです。 コオニタビラコ 春の七草のホトケノザがこの花です。 ヒレアザミ 茎にヒレがついています。 タガラシ 茎をかむと辛いからこの名がついたとか。 田枯からしとの説もあるとか。 会の仕事に追われてPCに向かっているときは良いお天気が続きました。 それも終わってようやく開放されたと思ったら雨。 晴歩雨読が生活習慣病となっている私にとっては聊か調子が悪い。 体がだんだん重くなってきた午後になってようやく晴れてきましたので、早速カメラと双眼鏡を持って、今日はお勧め散歩Cコースです。 もしかしたらヒレンジャクに会えるかなと思って行きましたが、残念ながら対面ならず。 代わりにホオジロがいい声で見送ってくれました。 カワセミも盛んに餌探しです。 キジもいました。 帰りに書店に寄ったらヤマケイJOYが出ていました。 まるごと尾瀬特集号です。 尾瀬には何十回と通って、もう卒業かなと思っていましたが、きれいな花の写真を見ていますとまた行きたくなってきました。 昨日は久し振りに昔の仕事仲間と街歩きを楽しんできました。 集まったのは6人。 全員現役を退いて数年経ちますが、一緒に遊んだり喧嘩したりした仲間はいいものですね。 つい昨日まで一緒に仕事をしていたような錯覚を覚えます。 そう、勿論仕事もしました。 でも思い出すのはどこかの町で飲んだり、ゴルフをした時のことばかり。 しかしそんな思い出話よりも今はやはり健康に関心が集まりますね。 昨日の中で大先輩は83歳。 しかしお達者で身のこなしも軽やか。 いい目標になります。 そこまで行くには後10数年は大丈夫。 昨日は聖蹟桜ヶ丘から百草園を経て高幡不動までのコースの予定でしたが、百草園で雨が降り出し、途中カット。 電車で高幡不動へ。 お参りもそこそこに早々とお決まりの場所へ。 これが楽しみですから雨でも関係なし。 旧交を温めてきました。 百草園ではクマガイソウと黄色いカタクリ、ヨウシュカタクリというそうですが、どちらもはじめて見ました。 昨日からしとしとと降り続いていた雨も午前中に上がり、午後は爽やかに晴れました。 こうなってはじっとしておられません。 早速カメラを相棒にお散歩です。 お散歩コースは5コース用意してあります。 歩くコースはその日の気分で変わります。 今日はその中から一番良く歩くコースです。 と言いますのもこのコース、1年を通じて花と鳥が楽しめるからです。 今は桜が終わってチューリップ。 一昨日は新聞に載ったからでしょうか大変混雑したそうです。 今日も平日にもかかわらず大勢の人が来ていました。 桜の咲く時には沢山の屋台も出ますし、この時期は鳥見もお休みです。 芝生の広場では鯉のぼりが青空に向かって気持ち良さそうに泳いでいます。 大きな口をあけて、まるで上空の月を飲み込まんばかりに。 頑張って歩いたら汗ばんできました。 売店でアイスクリームを買って食べました。 アーっ、これで折角のウォーキングの効果も帳消しです。 今日もまとまった雨が降りました。 で、外出は無し。 晴歩雨読の雨読の日なのですが、やらなければならない仕事があります。 ある会の会報編集です。 2ヶ月に1度の発行ですが、慣れないためこれが大変なのです。 えらいものを引き受けてしまったと後悔しています。 それで時々昨日撮ってきた写真を眺めて気晴らしをしています。 これは誰もが知っているナズナ。 春の七草の一つです。 小さい時からペンペングサといってきました。 ナズナと知ったのはずいぶん後のことです。 「ペンペングサも生えない」とよく言いますが、ペンペングサはどんな荒廃地であろうと逞しく育つのに、それさえ生えないというのは余程悪い条件のところという意味でしょうか。 「何々の通った後はペンペングサも生えない」というように使いますが、どちらにしてもあまり良い喩えではないですね。 でも、れっきとした薬草で、止血、利尿、解熱に用いられるそうです。 花言葉は、あなたにすぺてをお任せします。 でもこんなに沢山任されても困りますね。 桜の花の咲く頃に降る雨のことを桜雨というそうです。 でも昨日の雨はそんな風情のある雨ではありませんでしたね。 台風並みの強風雨。 満開を迎えた桜の花も、金さんの桜吹雪ではありませんが見事散ってしまいました。 今日は午後から床屋に行き、さっぱりした後散歩してきました。 昨日の雨の後だったからでしょうか、雨後の竹の子ならず、土筆が一面に背比べをしていました。 これを少し頂いて帰りました。 袴を取って、だしの素を入れ、砂糖に醤油、そして味醂を加えて煮ます。 最後に卵をとじて出来上がり。 少し苦味があるのが好きですが。 春を感じながら酒の肴に良いですね。 昨日の大荒れで花々も大分痛めつけられていたようです。 これはハコベでしょうか。 見ているときには気付かなかったのですが、大きくすると葉が大分傷付いていました。 コブシ、タムシバ、モクレン。 どれもモクレン科の花木でよく似ているため私には区別がつきません。 遠くから眺めていると皆同じに見えます。 一時期、5月の連休に毎年のように残雪の山に入っていました。 4、5日春山スキーを楽しんで山を下ってくると里はすっかり春になっていました。 今を盛りと咲き誇る桜とともに、抜けるような青空に目も眩むような白く大きな花が一番先に目に飛び込んできました。 それがコブシだと教えられました。 だからコブシは山里の花と思っていました。 もう一つ「こぶし咲く あの丘 北国の ああ北国の春」の例の歌がそのイメージを一層強くしたのかもしれません。 そして街で良く見るのがハクモクレンと単純に思っていましたが、そうではなかったのですね。 街の公園や民家の庭先でもコブシの花がよく見かけます。 そんな中でも関東一と言われるコブシの樹が関宿にあるのを知りました。 先日関宿散策の折見に寄りましたが、なるほど見事な樹でした。 だがこの時はまだ蕾が固かったので、昨日改めて行ってきました。 風が強く、満開には少し早く、見栄えは今一でしたが、後2、3日もすれば見事でしょう。 場所は、関宿城博物館近くの中の島公園です。 昨日、Tさんのお誘いでIさんと3人で上野の国立科学博物館へダーウィン展を見に行ってきました。 ダーウィンの生涯をパネルで判りやすく紹介するとともに、進化論着想のもととなったガラパゴス諸島の生物の剥製や、そのときの航海で使った道具やフィールドノートなどが展示されていて大変興味深く見てきました。 剥製の中にレア目レア科のレアというダチョウによく似た鳥とそれより少し小さ目のダーウィンレアという鳥の剥製がありました。 この二つもともと同じと見られていたのですが、名前から分かるようにダーウィンが別種と発見し自分の名をつけたそうです。 その発見の仕方が面白い。 肉を食べていてどうも食感と骨格がレアと違うようだということで新種の発見となったとか。 さすがですね。 私など焼き鳥を食べていても何の鳥かも分かりませんが。 まあそんなのはレアケースでしょうが。 ところで、ダーウィンレアの剥製は、日本では我孫子市鳥の博物館に1体あるだけだそうです。 ということで、今ダーウィン展に貸し出されていますが、6月で終わると引き続き大阪へ行くということです。 鳥博に戻ってくれば改めて見てみたいですね。 科学博物館を出て、上野の山で花見で一杯を楽しみにしていてましたが、人もいっぱい。 花は見頃を迎えていましたが、これでは落着きません。 すごすごと地元に帰ってきて静かにやりました。 去年は3人で大ジョッキ20杯。 今年はその3分の1。 ダーウィンの進化論ならぬ、ダーリンの退化論でした。 昨日は高尾山へ花の写真を撮りにいってきました。 東京都の奥座敷と言われている高尾山は花の山として知られています。 これまで1500種ほどの花が記録されているそうですが、そのうちの1種でも2種でも撮れればと出掛けてみましたが、結果は1枚も満足のいく写真は撮れませんでした。 山を始めた頃は体力も有り余っていたこともあり、足元に咲く可憐な花には目も呉れず、鳥の美しいさえずりにも耳を貸さず、ただ我武者羅に歩き回るだけでしたが、この頃はゆとりを持って、花や鳥や歴史などを楽しむようになり、これを知らずして本当の山の良さ、楽しさが分かるわけがないなんて豪語していますが、成熟したからでしょうか。 いやいや、単に体力が落ちて、以前のように歩けなくなったことの言い訳に過ぎないのかもしれません。 昨日は日影沢を城山まで1時間半の行程を3時間半かけて歩き、予定通り数多くの花を堪能しましたが、一つだけ誤算がありました。 頂上で楽しみにしていた茶屋が昨日はお休みでした。 平日だったからでしょうか。 これを当てにしていつものコンロや缶ビールを用意していませんでしたのでがっかり。 軒先に貼られた、「温かいおでん500円」「なめこ汁250円」「よく冷えたビールあります」の品書きがなんとも恨めしい。 おまけにこれ見よがしにずらっと並べてあるビールの空き瓶は恨めしさを通り越し、腹立たしい。 まあ楽しみは下山後にと、これらを後ろ目に見ながら早々にお昼を済まし、後はひたすら高尾のケーブルの乗り場へ。 下山後存分に楽しみました。 案外これが楽しみで山登りを続けているのかもしれません。 昨日の目的はコチャルメルソウ。 目立たない小さな花ですが、変わった花です。 萼の周りに出ている5つの魚の骨のようなものが花弁で4ミリほどの大きさです。 毎週水曜日の10時から12時まで、鳥の博物館の友の会ルームで「水曜サロン」というのをやっています。 なに、別に難しい会ではありません。 テーマも決まっているわけではありません。 お茶を飲みながらその時々の話題をテーマに語り合おうという気楽な会です。 友の会会長の肝煎りでスタートしましたが、当初多少の出入りはありましたもののその後半年ほどは3名で細々続けていました。 風前の灯。 いつ消えるかなと思っていましたが、年が変わって参加者も増え始め、今では10名近くになり侃侃諤諤賑やかにやっています。 当初の3名ではサボるわけにはまいりませんで、私も真面目に顔を出していましたが、今では1人くらいはという気持ちになって時々サボっています。 私などコーヒー(インスタントですがね)を飲んで、ただ聞いているだけですが、時々(時々ですよ)良い話もあり大変勉強になっています。 定年後どう過ごすか。 と悩んでいる人が多いとか、あるいはそんな人のためのHow to 物の本や雑誌が出回っていますが、なんのなんのここに集まる方たちは大いに青春を謳歌していますね。 ところで会は10時からですが、どうせならと少し早めに出て手賀沼周辺を歩くようにしています。 今日は遊歩道でアオジを撮りました。 ここのアオジは全く人を恐れず、近付いても平気です。 足下で動くものがあるのに気がつき見ましたらアオジが草の芽を啄ばんでいました。 思わず引き下がる始末。 余程人間を信用しているのでしょうね。 人間が人間を信用できなくなった世の中になりましたが。 ここの遊歩道、当分の間いろんな花が咲き競い、散歩者の目を楽しませてくれます。 遊歩道のアオジ 緋寒桜とヒヨドリ 昨日は絶好の散歩日和でした。 取手から利根川の左岸沿いに我孫子市の布佐まで歩いてきました。 距離は凡そ13km。 完全舗装で土の上を歩くことなく反って疲れてしまいました。 このコース、河川敷の中のアスファルト道なので、烈風吹き荒ぶ冬や灼熱の下の夏は不向き。 うららかな春の日を浴びての今頃の散歩が一番ですね。 スタートとなる取手には、駅の南の小高いところにある長禅寺(ここは将門の時代に取手の名の由来となった砦のあったところ)や取手宿の本陣、小堀の渡しなどがあります。 ゴール近くの利根町には、柳田國男が少年の頃過ごした家の家主である小川家の蔵書を貪り読んだ土蔵(今は柳田國男記念公苑になっています)。 柳田國男に民俗学を志す切っ掛けを与えた「間引き絵馬」のある徳満寺。 利根川流域のことを詳しく調べて「利根川図誌」を著した赤松宗旦の旧居跡など見るべきものが多くあり、1にちたっぷりと楽しめるところです。 何処までも続く自転車&遊歩道。 何を獲るのか 小貝川 利根川(向こう側)と小貝川(手前)の合流地点 昨日は前日までの天候とは打って変わって、春本番の陽気となりました。 晴歩雨読。 急に思い立って松虫寺に行ってきました。 以前から気になっていたところです。 場所は印旛沼の近く、印旛村松虫という所です。 自宅から車で1時間ほど。 初めてのところでもあり、北総線が近くの日本医大前まで開通したこともあって、周辺は新しい道路が開通するなど開発が進んでいて、地図を頼りに走りましたが大いに戸惑いました。 古いカーナビ地図上では道無き道を走ったことになります。 ようやく辿り着いたお寺は、静かな山村の林の中にひっそりと佇んでいました。 こじんまりとしていますが、風格のある真言宗のお寺です。 お寺の縁起によると、聖武天皇の第三皇女に松虫姫(不破内親王)が居ましたが、年頃になって難病に罹り、あらゆる手を尽くしてみましたが病は重くなるばかり。 ある夜、夢のお告げにより下総の萩原に効験あらたかな薬師如来があるというのを知り、藁をも縋る思いではるばるここを訪れ祈願したところ、姫の一念が通じ、数年で全快しました。 姫の全快を喜んだ聖武天皇は、僧行基に命じてこの地に寺を建立し、七仏薬師如来像を献じて、松虫姫の名を採って松虫寺と名付けました。 本尊は1体の坐像と6体の立像からなる七仏薬師如来像(国重文)で平安時代後期の作とされています。 縁起とは違うようですね。 他に天正13年(1585年)銘のある鋳銅鰐口や孔雀文磬(南北朝時代の作と推定・県重文)があります。 薬師堂と山門は享保年間(1716〜36年)の建立。 本堂裏には松虫姫御廟があります。 松虫姫の遺言により、死後遺骨を分骨されたものです。 他にもこの伝説にまつわる牛むぐりの池、杉自の塚、銀杏の老樹などがあり、近くにはいくつかのお寺もあります。 この次はゆっくりと歩いて回ってみたいと思いました。 昨日は終日雨でした。 しかも風もありました。 今日は雨は止みましたが、風は相変わらず強いですね。 お彼岸の少し荒れ模様の天候のことを彼岸時化というのだそうです。 晴歩雨読。 こんな日はおとなしく読書デーです。 押入れから古い山の雑誌を引っ張り出してきて目を通していたら、深田久弥の「日本百名山」の連載記事が目に入りました。 山の朋文堂から出ていた「山と高原」の昭和38年4月号です。 日本百名山は、戦前同じ朋文堂から出ていた「山小屋」に連載されていました。 昭和15年3月号からです。 それが10回20山まで紹介されたところで中断していました。 そのうち雑誌そのものも休刊になってしまいました。 戦後復刊されたようですが、それもすぐに消えたようです。 この辺りのことは、高辻謙輔著「日本百名山と深田久弥」(白山書房2004刊)に詳しく紹介されています。 そして、山と高原の昭和34年の3月号から改めて連載が始まりました。 第1回目は鳥海山と男体山。 そして毎月2山ずつ紹介され、最終回の50回目は38年4月号の筑波山と富士山でした。 この連載が完結したら、いずれ単行本として発行されるだろう。 そうしたら手許においてそれをガイドに全部の山に登ってみようと思いました。 翌39年、新潮社から箱入りの立派な「日本百名山」が刊行されました。 早速大枚870円を叩いて手に入れましたが、それから44年、当初の思いは未だに果たしていません。 理由はいくつかあります。 若かりし頃は体力に自信がありましたが、先立つものがなく、毎週のように近くの奥多摩の山で鬱憤を晴らしていました。 先立つものに少し余裕が出てくる頃には時間がなく、やはり近くの山でお茶を濁していました。 今は時間はたっぷりあるのですが、体力に自信が無くなってきました。 しかし本当のところは、百名山以外にも私にとって魅力ある山が文字通り山ほどあり、そちらに気を惹かれていたからかもしれません。 一時深田久弥の日本百名山で無ければ山にあらず、といったような風潮を感じることさえありました。 しかし、深田自身が日本百名山のあとがきで述べていますが、他にも入れたい山があったが、自分で登っていないか、選定条件に少し満たないで外したといって具体的に40数座挙げています。 再版の機会があればいくつか差し替えをするつもりであるともいっています。 山それぞれに個性がありますし、人にもそれぞれ好みがあります。 自分の好みに合った、自分なりの100名山、200名山があっても良いのではないでしょうか。 とは言いつつ、深田百名山で登っていない山を数えてみましたら20山ほどありました。 いずれも良い山ばかりです。 できれば登ってみたいと思っているのですが…。 やはり日本人ですね。

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青空てにをは辞典 「~見る」

思い 思 われ 振り 振 られ 漫画

何年振りかで三ツ峠に行ってきました。 昔は週末になると新宿から富士急行線に乗り入れする、夜行のハイキング列車が出ていました。 それを利用して良く登ったものです。 三ツ峠は、大菩薩嶺、谷川岳などとともに夜行日帰りの山として人気の山でした。 今は夜行列車が無くなりましたので、自宅を早朝に出ても日帰りはちょっと厳しくなりました。 そこで頂上で1泊して朝夕の富士山をたっぷり楽しむことにし、河口湖からタクシーで三ツ峠登山口まで行き、そこからゆっくりと小屋に入りました。 気象情報で、翌日は今秋一の寒気が南下してくると伝えていましたので期待していましたが、富士山は期待通りの秀麗な姿を見せてくれました。 下山は河口湖へ。 風が強くなり、落ち葉舞う中を正面に富士山を眺めながら天上山までの尾根道をのんびり楽しみ、最後はロープウェイで一気にと思っていましたが、この強風でロープウェイは運休。 止むを得ず歩いて下ることになりましたが、この下山道、花の時季には楽しめそうな道でした。 昨日教えられて撮った私にとっては初めての鳥。 帰って開いてみたらやっぱり今一。 今日再挑戦で午前中粘ってみましたが、空振り。 代役を務めてくれたのがエナガでした。 これもわがHP上には未収録でしたので、仕方がない、これでもエーナガ。 じゃなかった、えーがな(これ関西弁)。 午後は予約しておいたインフルエンザの予防接種。 病院までの往復1時間余り、カメラを持って歩きましたが収穫なし。 少し汗ばみましたが、予防接種をしたのだからと安心していたらぞくぞくして来ました。 これはインフルエンザの予防接種、しかも効果があるのは2週間先からだと。 後の祭り。 今夜は風呂とお酒は止めて下さいと言われた。 風呂はともかくお酒はつらい。 でも医者に言われない限り休肝日を作れないのだから、今日1日くらい、まーえーがな。 今日、飛騨自慢の純米生酒「鬼ころし」を頂きました。 よく冷やして早速味わってみました。 美味い。 爽やかで飲みやすい。 が、辛口特有のキレがある。 それでいて芳醇なコクがあります。 どこかで聞いたコマーシャルのようですね。 つい飲み過ぎてしまいそうですが、それが危険。 後からじっくりと効いてきます。 わが家のオッ家内も一口飲んで美味しい。 二口飲んでメロメロ。 まさに「鬼ころし」ならぬ「鬼婆殺し」。 これは飛騨高山の老田酒造のお酒。 全国に「鬼ころし」というのが沢山あります。 その中で今夜飲んだのが一番美味い。 と言っても他のはほとんど飲んでいませんが。 高山には若い頃随分行きました。 有峰から太郎に登り、槍を目指した帰り。 裏銀から、表銀座から、笠ガ岳から。 槍ガ岳からの帰りは決まって喧騒の上高地を避け、鄙びた穂高温泉郷に宿を取り、翌日高山市内を見物して帰ったものです。 1本の「鬼ころし」。 北アルプスの峰々を歩き回った、わが若かりし頃の青春の山を思い起こさせてくれました。 100万本以上のヒガンバナが咲くという巾着田に行ってきました。 お彼岸の頃に咲くので彼岸花。 ちょうど今頃は田圃の畦道、民家の庭先、あるいは墓地などどこででも見かけることが出来るのですが、これほどの群落はさすがに見事です。 中国原産の花ということですが、古くから日本に伝来しています。 高麗の里にふさわしい花といえるのではないでしょうか。 7世紀の半ば、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた高句麗から多くの人が日本に渡ってきました。 続日本紀によりますと、霊亀2年(716年)5月16日、駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七ヵ国にいる高麗人1795人を武蔵の国に移住させ、初めて高麗郡を置いた、とあります。 だから高麗の里には高麗神社、聖天院など高麗人ゆかりの寺社や史跡が沢山あります。 それらと満開のヒガンバナを結んで歩きました。 赤い花なら曼珠沙華 和蘭屋敷に 雨が降る 残念ながら高麗の里も雨でした。 ヒガンバナは曼珠沙華とも言いますが、これは梵語で「赤い花」という意味だそうです。 球根には毒があるので、ネズミやモグラは敬遠します。 だから田圃の畦道などに植えたのでしょう。 ヒガンバナの花言葉は「思うはあなた一人」。 慣れない作業のためにここ数日PC張り付いているせいでしょうか、お尻から背中にかけてひどく痛くなってきました。 同時に目も霞んできました。 (これは年のせい?)そのうえ思うように捗らないイライラが高じて胃までおかしくなってきました。 (こちらは飲み過ぎ?)(苦笑) これではいけないと、目の保養を兼ねてコスモス畑に行ってきました。 清々しい感じのするコスモス、今では日本の秋を代表する花になっていますが、原産地はメキシコだそうです。 漢字では「秋桜」。 コスモスはギリシャ語のKosmosが語源で、こちらは「宇宙」と言う意味があります。 どちらも山口百恵の歌。 花言葉は「調和」。 やはりギリシャ語からきているそうです。 真っ青な空を背景に、そこに赤トンボでも飛んでくればまさに日本の秋〜ですね。 心休まります。 新しいザックを買ってきました。 これまで使っていたザックの背負いベルトが擦り切れてきたからです。 形は今までのと同じですが、材質が今までのナイロン製から帆布製に変わりました。 その分少し重くなったように感じます。 最近のザックにはやたらに紐がついています。 どのように使うのか私には分かりません。 アイゼン、ピッケルを取り付ける紐 ベルト は以前もありましたが、私にはもう必要ありません。 ザックを網棚に上げるとこの紐が何本も他人の頭の上にぶら下がります。 ドアーサイドに立てかけると、長い紐が床を這い回り邪魔になります。 ちょっとオーバーかな) そこで、シンプルなものを方々探してようやく神田のスポーツ店で見つけました。 そういえば、これまで使っていたのも同じ店で見つけたものでした。 この手のものはあまり出回っていません。 ザックは、大は小を兼ねません。 山行目的に応じていろんなザックを使い分けていました。 だから、ザックだけで14・5個あります。 今ではほとんど使わなくなり、押入れの奥で眠っています。 夫々わが若かりし頃の思い出が詰まっています。 若い頃はキスリングザックで40kg近くを担いだこともありますが、今では10kgを超えるとハフハフです。 このザックくらいの山がちょうどいいのでしょうね。 早く出かけたくなりました。 昨日、佐倉の歴史民俗博物館へ行ってきました。 「江戸の旅から鉄道旅行へ」という企画展が催されており、その招待券を頂いたのですが、昨日が最終日。 ギリギリ間に合いました。 江戸の、徒歩による移動の「旅」から、近代の鉄道による移動の「旅行」への移り変わりをいろんな資料を交えて楽しく解説していました。 江戸の庶民の旅の一番の目的はお伊勢参りでした。 しかし伊勢神宮にお参りするだけでなく、街道筋の名所旧跡を訪ねたり、神社仏閣にお参りしたり、宿場ではその土地の名物料理を食べるのも大きな楽しみでした。 行きに東海道を歩き、帰りは中山道を歩くという周遊型の旅をしたのもその現れの一つでしょう。 街道筋では、いろんな見所や品を旅人に紹介し提供してもてなしたことでしょう。 これを街道すべてがアミューズメントパークという概念で捉えています。 近代になって鉄道網の発達に伴い、旅人は座席に座っていながらにして目的地まで運ばれます。 途中の景色もゆっくり楽しむこともなく車窓を飛び過ぎていきます。 お昼時、列車の止まる駅で窓を開けて、その土地の特色ある弁当を買って食べるのが楽しみでしたが、今は窓も開きません。 道中=アミューズメントパークの概念が崩壊した。 と、企画展は解説していますが、なるほどと感心しました。 旅の楽しみ方もいろいろあります。 これからの旅、どのように変わっていくのでしょう。 鉄道の歴史の中に、昭和34年、初めての修学旅行専用列車「ひので」「きぼう」が運行される。 とありました。 確か私の勤めていた会社が取り扱いの第1号だったと思います。 社内でも大きな出来事の一つとして取り上げていました。 私が入社して2年目でした。 もう半世紀も前のことです。 昨日は懐かしい思いで1日楽しんできました。 このところ手賀沼周辺にしばしば怪しげなるものが徘徊している。 といってもこれは珍鳥の話。 これもその一つ。 アメリカウズラシギ。 旅鳥ですが、日本は渡りのコースから外れているらしく、稀にしか現れない珍しい鳥だそうです。 発見者のIさんが居て教えてもらえたのですぐ分かりましたが、私1人だととても無理です。 そばに居たヒバリシギとよく似ていて、1羽ずつだと区別がつきません。 こうして並ぶと、大きさ、胸の黒斑で違いが分かりますが。 それにしても良く見つけたものです。 ベテランのIさんはこの辺り広範囲に毎日のように観察しています。 それだからちょっと変わった鳥もすぐ目に飛び込んでくるのでしょうね。 しかし相変わらずブレにピン甘。 帰って期待して見ましたが、どこかの国の野球のようにドウにもなりません。 黒百合は恋の花 愛する人に捧げれば 二人はいつかは結びつく 昔流行った、菊田一夫作詞で織井茂子が歌っていた「黒百合の歌」です。 好きな歌でした。 黒百合の花言葉は「恋」なんですね。 ところが、もう一つ「呪い」という花言葉があります。 イメージが全く逆ですね。 それにはこんな話があります。 天正12年(1584年)豊臣軍に取り囲まれた富山城の城主佐々成政は、家康に助けを求めるため雪の針ノ木峠を越えて駿河に向かいましたが、家康には断られ、止む無く戻ってきました。 帰ってくると、留守中に愛妾の早百合姫が家来と仲良くなっていたとの噂を耳にし、確かめもせず成敗しました。 早百合姫はいまわのきわに、立山に黒百合の花が咲いたとき佐々家は滅びるでしょう、といって呪い死んだといいます。 その後立山に黒百合が咲き、程無くして成政は秀吉の不興を買い、打ち首になって佐々家は滅びたということです。 「恋」と「呪い」。 全く正反対のように思いますが、恋が原因ですから、関連しているのですね。 ユリ科の花ですが、黒というより濃い紫色で毒々しいですね。 白山室堂に群落がありました。 手賀沼の近くの休耕田に珍しい鳥が来ているというので、今朝早く行ってみました。 アカエリヒレアシシギではないかとのこと。 それと思しき水の張った休耕田を双眼鏡で探しましたが見当たりませんでした。 場所を変えようと車に戻りかけましたら、なんとすぐ足元にいるではありませんか。 図鑑を見ますとまさしくアカエリヒレアシシギです。 くるくる動き回り盛んに餌をついばんでいます。 ちょっとキョウジョシギに似た色合いですね。 カメラを構えてシャッターを押し続けました。 ほんの4〜5mのところです。 全く警戒する様子ではありません。 「野鳥の事典」を見ますと、鈍感で人が近付いても平気のこともある。 とありましたので笑ってしまいました。 近くをワシタカ(なんだか私には分かりませんでした)が飛びすぎましたが平気。 すぐ近くにハクセキレイが降り立ちましたが動じることもなく堂々としています。 たった1羽でした。 旅鳥で南へ渡る途中に迷い込んだのでしょうか。 永年気になっていた白山へ行ってきました。 加賀の白山は、駿河の富士山、越中の立山とともに日本三名山と言われ、古くから多くの人に親しまれ、登られています。 このうち立山にはアルペンルート観光の途次、剣岳の帰りに、大日岳へのスタート地として、有峰から薬師を越えての終着地として何度か登っていますが、他の2山にはこれまで機会がありませんでした。 それは多くの人に登られているだけに、登山道も整備され、宿泊施設も整っており、いつでも登れるという気があったからかもしれません。 しかし、そういつまでものんびり構えている訳にも参りません。 今年になって山仲間から声を掛けられたのを機会に、花の季節に実行しようと計画を立てました。 白山は花の種類の多いことでも知られています。 のんびり写真を撮りながらと考えていましたが、結果は散々でした。 加齢とともに訪れる体力減退のことをすっかり忘れていました。 幸か不幸か快晴で、暑さも手伝ってもう途中でバテバテ。 途中で宿泊場所の室堂センターには生ビールがあると聞いたのが幸いし、俄然ピッチが上がり、多少の遅れで転がり込むことが出来ました。 冷たい生ビールの美味しかったこと。 今回私たちのとったコースは、観光新道を登り、砂防新道を下るコース。 地元の人に聞いてみると観光新道は急坂が続き大変なので、砂防を登り観光を下るのが一般的とのこと。 ならばあえて観光新道を登ろうということになりました。 なぜならば、足腰が弱くなってくると下りが特に危険を伴います。 中高年登山者の事故で最も多いのが、下りに起こる躓きや滑落だそうです。 観光新道の段差の大きい急な登山道を歩いてみて正解だったなと思いました。 中央学院大学の陸上部は、箱根に向けて練習が続けられています。 今年の箱根駅伝ではこれまで最高の3位に入りました。 来年はさらに上を目指して頑張ってもらいたいものです。 地元として声援を送りたい。 もう一校応援しているのが山梨学院大学です。 こちらは、私が最後に勤務した箱根のホテルを宿舎として使っていただいていました。 1月2日の夜は、当日走り終えた選手と応援団、それにマスコミなどでホテルは超満員。 私の仕事は元日に箱根神社にお参りし、商売繁昌と山梨学院の優勝祈願。 そしてお札を上田監督に渡すことでした。 そんな訳でどちらも頑張ってもらいたいと思っています。 それにしても彼らの走りを見ていると惚れ惚れします。 上半身不動。 頭の上下がまったくありません。 動いているのは手足だけ。 近くでジョギングを楽しんでいる人を見かけますが、こちらはピョンピョン飛び跳ねているだけ。 スピードが全く違います。 尤も自分はピョンピョン飛び跳ねることも出来ないのですが。 昨日、大菩薩嶺へ行ってきました。 昔、新宿0時10分に出る夜行普通列車があった頃は、夜行日帰りの格好の山として何度も通いました。 確か2時半頃に塩山に着き、少し離れたバス停まで歩きしばらく待ちます。 まだ暗いうちに裂石に着き、ここから歩き始めて大菩薩嶺に登り、そこから丹波路を丹波へ、牛の寝通りを小菅へ、小金沢蓮嶺を湯ノ沢峠へとそれぞれ歩きました。 夜行列車もとっくの昔になくなり、さらに体力の無くなった今は峠の小屋に泊まらない限りこんな歩きは出来ません。 しかし、今は福ちゃん荘という山頂まであと1時間というところに建つ小屋の前までタクシーで行けます。 これを利用すれば日帰りで山頂から峠までの2000mの稜線歩きが楽しめます。 昨日もこれでした。 下では30度を超える暑さが続いていますが、2000mの稜線を吹きぬける風は、さすがに爽やかで気分爽快です。 峠からの下りは昔からの登山道を裂石まで歩きます。 6時前に自宅を出て歩き始めたのが10時30分。 帰りは裂石に17時に下りついて、大菩薩の湯で汗を流し、湯上りに冷たいもので喉を潤し、18時半に出て我が家に着いたのが22時半。 やはり遠いですね。 帰りに駅から乗ったタクシーの運転手に、登って良かった山はどこか、と聞かれました。 良くある質問です。 でも山それぞれに特徴があり、良い山を選ぶのは難しいですね。 まして100名山なんて限定することはとても出来ません。 でも、自分にとっていつまでも思い出に残る山はいくつかあります。 その山の共通点は、一緒に登った気の置けない楽しい仲間との山旅です。 昨日の山も思い出の山になりそうです。 そんな山旅をこれからも重ねたいと思っているのですが。 きのう、散歩の途次、排水路で生まれて間もない可愛いカルガモの赤ちゃんを見ました。 いつもはカメラを持って歩くのですが、昨日はコンパクトカメラだけ。 こんな日に限って何か出るんですね。 それで今朝は、カメラを持って再び出かけてみました。 いました。 昨日と同じところに。 ところが、昨日は確かに9羽いたのですが、今日はどう数えても8羽しかいません。 一夜のうちに何者かに…。 自然界の定めとはいえ胸が痛みます。 立派に独り立ちできるまでまだまだ苦難が待ち構えているでしょう。 このうち何羽育つのでしょうか。 この排水路には、別に6羽と4羽の雛を連れた一家がいました。 こちらは少し大きく育っていましたが、彼らも最初はもっと兄弟がいたのでしょうか。 久し振りに尾瀬に行ってきました。 と言っても檜枝岐に泊まって尾瀬沼を往復しただけですが。 目的は花の旅。 尾瀬は水芭蕉が終わって、ニッコウキスゲまではまだ1ヶ月ほどあります。 この間どんな花があるのでしょうか。 楽しみです。 ニッコウキスゲのような派手な色の花がありませんので、遠目には何も見えず寂しい気もします。 でも湿原を行くと、ワタスゲ、タテヤマリンドウ、リュウキンカ、シナノキンバイ、イワカガミ、オオバタチツボスミレ等等、さすが尾瀬です。 数多くの花が群落でその美を競っています。 このミツガシワもその一つ。 図鑑によれば、花は漏斗形で深く5裂するとあります。 帰ってからこの写真を良く見ますと5裂ではなく6・7裂に見えます。 もしかして新種発見!なんてことはないですね。 現物をもっとよく観察しておかなければと反省しました。 カメラを持って、図鑑を持って、拡大鏡を持って、だんだん荷物を担げなくなってきましたのに困ったことです。 それでも鳥に比べれば、その花の時期にそこへ行けば確実に撮らせてくれるから助かります。 鳥はレンズを向けただけで飛んで行くものもいますから難しいですね。 金町にある「江戸名所しばられ地蔵」。 このお地蔵さんを荒縄で縛ってお願い事をすると、あらゆる願いが叶うそうです。 願いが叶うと縛っておいた縄を解くと言うことなのですが、この縄どんどん増える一方で減る様子が無く、毎年大晦日にまとめて解くそうです。 このお地蔵さん、霊験あらたかでない訳ではないのでしょうが、悩み事を持つ人が多いのでしょうか。 願い事が多過ぎて追いつかないのかもしれませんね。 このお地蔵さんには大岡裁きのお話があります。 あるとき、江戸日本橋小伝馬町の木綿問屋の手代が、さらしの反物を満載した荷車を南蔵院の門前において昼寝をしていたところ、起きてみると荷車ごと反物がなくなっていました。 驚いた手代は奉行所に駆け込んだところ、時の名奉行大岡越前は、「寺の門前に立っていながら泥棒の所業を黙って見ていたとは、地蔵も同罪だ」、と言って荒縄でくくって奉行所に運ばせた。 市中の野次馬連中は、どんな裁きをするのだろうと、ぞろぞろついてきてそのまま奉行所に入ってきた。 全員が入ったところで門が一斉に閉められ、出られなくしてしまった。 驚いた人々に、越前は「勝手に奉行所に入った罰として、各人さらし一反を納めのように」と申し渡した。 翌日納められた反物を調べてみると、盗まれた品物が交じっていたところから犯人が分かり、捕らえられたと言うことです。 それ以来このお地蔵さん、盗難除けをはじめ厄除けに効験あると言われており、荒縄で縛られるのもそのせいかもしれません。 今日はちょっとばかり蒸し暑くなりました。 午後近くの根戸の森に行ってみました。 木々はすっかり深緑となり、頭上を覆い尽くしていますので、森の中は薄暗くなっています。 ホトトギスの鳴き声が聞こえてきますが、姿を見つけることはできません。 薄暗い森の中にほの白く浮き出た一角がありました。 ドクダミの群落です。 一つ一つはさほどではありませんが、群落になると見られますね。 白い花弁のように見えるのは実は苞です。 花は真ん中の棒状のところに無数についている黄色いのがそうです。 形は違いますが、水芭蕉と同じですね。 八重のドクダミというのもあるそうですが、まだ見たことはありません。 ところでドクダミとは嫌な名前ですね。 小さい頃裏庭にも沢山ありましたが、名前を聞いて好きになれませんでした。 「毒痛み」が転訛してドクダミとなったそうですが、毒痛みとはどういうことでしょう。 ドクダミというから毒草かなと思っていましたが、そうではないんですね。 切り傷、擦り傷、虫刺されなどに効く薬草なのです。 そのほか10の薬効があるというので「十薬」という別名があり、俳句などに歌われています。 そういえばドクダミ茶というのもありますね。 これから虫の多い季節です。 虫に刺されたときに試してみましょう。 無視できない花ですね。 我孫子市鳥の博物館。 わが国でたった一つしかない鳥専門の博物館です。 「人と鳥の共存をめざして」をキャッチフレーズにして、自然を大切にする我孫子市ならではの施設といえます。 収蔵する標本は、本剥製約2000点、全身骨格約430点など総数で3000余点。 このうち鳥の剥製が400種と骨格、羽毛、卵など200点が常時展示されているので、日頃見られない珍しい鳥もここでは身近に観察することができます。 特に図鑑では鳥の大きさなど実感できませんが、ここでは他の鳥と見比べて、その大きさや姿形など比較できるので大変勉強になります。 博物館では鳥の剥製を展示するだけでなく、鳥や自然環境に関する講演会、自然観察会、探鳥会などの催しも随時行われています。 博物館へは我孫子駅又は天王台駅からバスで市役所前で降り、徒歩5分ほどです。 また土・日・祝日には、我孫子駅〜鳥の博物館前〜天王台駅のバスが運行されています。 万葉集に出てくる「宇万良(うまら)」というのは茨で、芳香を放つノイバラのことだそうです。 日本にはバラ属の野生のものは13種あるそうですが、今庭園などでよく見るバラのほとんどは西洋から入ってきた観賞用に品種改良されたもので、いったいどれ位の品種があるのでしょうか。 写真のバラはノイバラではありませんが、谷津バラ園で撮ってきたもので、一つ一つ名前がついているのですが、舌を噛みそうなので覚えてきませんでした。 どれもきれいな花ですが、うかつには手が出せません。 きれいな花には棘があると言います。 今朝もTVで山梨県のバラ好きの方のお庭から中継していましたが、それは見事でしたね。 広いお庭がバラ一色(いや、色は多色でしたが)。 オープンガーデンだそうです。 道のへの 茨の末に 延ほ豆の からまる君を はかれか行かむ (万20-4352) 道端の茨の先に まつわる豆(ノイバラの実)のように まつわる君 そんな君を置いて別れて行かなければならないのか。 これは防人の歌で、詠み人は天羽郡(今の富津市の南部の辺り)の丈部鳥 君を妻とする説もありますが、万葉集では君は男性や主君を指すので、これは自分になついている主家の若君のことを言っているのだろうとする説もあります。 妻は妹で君と詠ったものはありません。 でも、今風に妻とか彼女と思ったほうがなんとなく良いですね。 このブログは、花有り、鳥有り、歌有り、史跡有りで、バラバラですね。 歩く会で我孫子の自然や史跡を訪ね歩いてきました。 私より年齢が上の方も何人かおられました。 皆さん元気で、見学の時に立ち止まる以外は腰を下ろすこともなく4時間弱歩き通しました。 帰ったら市から「介護予防のための基本チェックリスト」というのが送られてきていました。 心身の機能低下を判定するもので、この回答で機能低下と判定されたら予防するための施設を紹介しますとのことです。 大変有難いことです。 質問を見て行きます。 ・バスや電車で1人で外出していますか。 ・15分位続けて歩いていますか。 ・周1回以上は外出していますか。 4時間も歩いてきたばかりだし、勿論「はい」です。 これなら大丈夫かなと思って先に進むとだんだん心配になってきました。 ・預貯金の出し入れをしていますか。 (ウーン。 わが家の通帳はオッ家内にがっちり握られていますからねー。 「いいえ」) ・階段を手すりや壁をつたわらずに昇っていますか。 (昇りは平気ですが、下りがねー。 下りのことは書いていませんから、これは「はい」でしょうか「いいえ」でしょうか。 質問を書いた人は若い方なんでしょうね。 ) ・今日が何月何日かわからない時がありますか。 (毎日が日曜日になってから、アレッ今日は何曜日だったかなと思う時がたびたびあります。 「はい」) こんな回答を出すと、再度生活機能検査の受信券が送られてきそうです。 それで検査を受けて必要となると介護予防事業への参加のお誘いがあるということです。 この事業の名前が「おたっしゃ暮楽部」というのだそうです。 人生を達者で楽しく暮らそう、という意味のネーミングだと思うのですが、どうもひねくれものの私には、暮という文字から、日の暮れ(1日の終り)、年の暮れ(1年の終り)を連想し、人生の終わりという意味かなと考えてしまいます。 「後期高齢者」同様嫌なネーミングです。 先日A新聞の千葉版に全写連の作品が掲載されていた。 昨年5月に撮ったというコブハクチョウ親子の写真だ。 春が来ても帰らないハクチョウの親子が…。 という説明が付けられていた。 コブハクチョウはもともと愛玩用として飼育されていたものが野生化したもので、留鳥として生育し、コハクチョウやオオハクチョウのように渡りはしない。 大新聞ともあろうものがと驚いた。 ところで手賀沼でも毎年今頃になると10数羽の雛が誕生する。 にもかかわらずそんなに増えているようには見えない。 何処へ行くのだろうと思っていた。 先日手賀川の下流を車で通ったとき30羽ほどのコブハクチョウが屯していた。 手賀沼で無事成長したコブハクチョウは、生活圏をこことか周辺部に広げているようだ。 先の写真も印西市とあったからこの中のどれかかもしれない。 昨日は歩こう会で利根運河を歩いてきました。 利根川を遡り、関宿を経て江戸川を下る水運路も、輸送量が増えたため、両川をショートカットして結ぶ全長8kmの運河が開削されました。 利根運河です。 完成したのは1890年。 それから118年。 周辺の台地や谷津とともに美しい自然景観が保たれて来ました。 美しい堤防には沢山の種類と数の草花がびっしり。 よくもこれほどと思う暗い沢山の数に驚かされ、感心しました。 地元の方の自然を護ろうとの熱意の賜物でしょう。 花の写真を撮るために何度でも訪れたいところです。 コオニタビラコ 春の七草のホトケノザがこの花です。 ヒレアザミ 茎にヒレがついています。 タガラシ 茎をかむと辛いからこの名がついたとか。 田枯からしとの説もあるとか。 会の仕事に追われてPCに向かっているときは良いお天気が続きました。 それも終わってようやく開放されたと思ったら雨。 晴歩雨読が生活習慣病となっている私にとっては聊か調子が悪い。 体がだんだん重くなってきた午後になってようやく晴れてきましたので、早速カメラと双眼鏡を持って、今日はお勧め散歩Cコースです。 もしかしたらヒレンジャクに会えるかなと思って行きましたが、残念ながら対面ならず。 代わりにホオジロがいい声で見送ってくれました。 カワセミも盛んに餌探しです。 キジもいました。 帰りに書店に寄ったらヤマケイJOYが出ていました。 まるごと尾瀬特集号です。 尾瀬には何十回と通って、もう卒業かなと思っていましたが、きれいな花の写真を見ていますとまた行きたくなってきました。 昨日は久し振りに昔の仕事仲間と街歩きを楽しんできました。 集まったのは6人。 全員現役を退いて数年経ちますが、一緒に遊んだり喧嘩したりした仲間はいいものですね。 つい昨日まで一緒に仕事をしていたような錯覚を覚えます。 そう、勿論仕事もしました。 でも思い出すのはどこかの町で飲んだり、ゴルフをした時のことばかり。 しかしそんな思い出話よりも今はやはり健康に関心が集まりますね。 昨日の中で大先輩は83歳。 しかしお達者で身のこなしも軽やか。 いい目標になります。 そこまで行くには後10数年は大丈夫。 昨日は聖蹟桜ヶ丘から百草園を経て高幡不動までのコースの予定でしたが、百草園で雨が降り出し、途中カット。 電車で高幡不動へ。 お参りもそこそこに早々とお決まりの場所へ。 これが楽しみですから雨でも関係なし。 旧交を温めてきました。 百草園ではクマガイソウと黄色いカタクリ、ヨウシュカタクリというそうですが、どちらもはじめて見ました。 昨日からしとしとと降り続いていた雨も午前中に上がり、午後は爽やかに晴れました。 こうなってはじっとしておられません。 早速カメラを相棒にお散歩です。 お散歩コースは5コース用意してあります。 歩くコースはその日の気分で変わります。 今日はその中から一番良く歩くコースです。 と言いますのもこのコース、1年を通じて花と鳥が楽しめるからです。 今は桜が終わってチューリップ。 一昨日は新聞に載ったからでしょうか大変混雑したそうです。 今日も平日にもかかわらず大勢の人が来ていました。 桜の咲く時には沢山の屋台も出ますし、この時期は鳥見もお休みです。 芝生の広場では鯉のぼりが青空に向かって気持ち良さそうに泳いでいます。 大きな口をあけて、まるで上空の月を飲み込まんばかりに。 頑張って歩いたら汗ばんできました。 売店でアイスクリームを買って食べました。 アーっ、これで折角のウォーキングの効果も帳消しです。 今日もまとまった雨が降りました。 で、外出は無し。 晴歩雨読の雨読の日なのですが、やらなければならない仕事があります。 ある会の会報編集です。 2ヶ月に1度の発行ですが、慣れないためこれが大変なのです。 えらいものを引き受けてしまったと後悔しています。 それで時々昨日撮ってきた写真を眺めて気晴らしをしています。 これは誰もが知っているナズナ。 春の七草の一つです。 小さい時からペンペングサといってきました。 ナズナと知ったのはずいぶん後のことです。 「ペンペングサも生えない」とよく言いますが、ペンペングサはどんな荒廃地であろうと逞しく育つのに、それさえ生えないというのは余程悪い条件のところという意味でしょうか。 「何々の通った後はペンペングサも生えない」というように使いますが、どちらにしてもあまり良い喩えではないですね。 でも、れっきとした薬草で、止血、利尿、解熱に用いられるそうです。 花言葉は、あなたにすぺてをお任せします。 でもこんなに沢山任されても困りますね。 桜の花の咲く頃に降る雨のことを桜雨というそうです。 でも昨日の雨はそんな風情のある雨ではありませんでしたね。 台風並みの強風雨。 満開を迎えた桜の花も、金さんの桜吹雪ではありませんが見事散ってしまいました。 今日は午後から床屋に行き、さっぱりした後散歩してきました。 昨日の雨の後だったからでしょうか、雨後の竹の子ならず、土筆が一面に背比べをしていました。 これを少し頂いて帰りました。 袴を取って、だしの素を入れ、砂糖に醤油、そして味醂を加えて煮ます。 最後に卵をとじて出来上がり。 少し苦味があるのが好きですが。 春を感じながら酒の肴に良いですね。 昨日の大荒れで花々も大分痛めつけられていたようです。 これはハコベでしょうか。 見ているときには気付かなかったのですが、大きくすると葉が大分傷付いていました。 コブシ、タムシバ、モクレン。 どれもモクレン科の花木でよく似ているため私には区別がつきません。 遠くから眺めていると皆同じに見えます。 一時期、5月の連休に毎年のように残雪の山に入っていました。 4、5日春山スキーを楽しんで山を下ってくると里はすっかり春になっていました。 今を盛りと咲き誇る桜とともに、抜けるような青空に目も眩むような白く大きな花が一番先に目に飛び込んできました。 それがコブシだと教えられました。 だからコブシは山里の花と思っていました。 もう一つ「こぶし咲く あの丘 北国の ああ北国の春」の例の歌がそのイメージを一層強くしたのかもしれません。 そして街で良く見るのがハクモクレンと単純に思っていましたが、そうではなかったのですね。 街の公園や民家の庭先でもコブシの花がよく見かけます。 そんな中でも関東一と言われるコブシの樹が関宿にあるのを知りました。 先日関宿散策の折見に寄りましたが、なるほど見事な樹でした。 だがこの時はまだ蕾が固かったので、昨日改めて行ってきました。 風が強く、満開には少し早く、見栄えは今一でしたが、後2、3日もすれば見事でしょう。 場所は、関宿城博物館近くの中の島公園です。 昨日、Tさんのお誘いでIさんと3人で上野の国立科学博物館へダーウィン展を見に行ってきました。 ダーウィンの生涯をパネルで判りやすく紹介するとともに、進化論着想のもととなったガラパゴス諸島の生物の剥製や、そのときの航海で使った道具やフィールドノートなどが展示されていて大変興味深く見てきました。 剥製の中にレア目レア科のレアというダチョウによく似た鳥とそれより少し小さ目のダーウィンレアという鳥の剥製がありました。 この二つもともと同じと見られていたのですが、名前から分かるようにダーウィンが別種と発見し自分の名をつけたそうです。 その発見の仕方が面白い。 肉を食べていてどうも食感と骨格がレアと違うようだということで新種の発見となったとか。 さすがですね。 私など焼き鳥を食べていても何の鳥かも分かりませんが。 まあそんなのはレアケースでしょうが。 ところで、ダーウィンレアの剥製は、日本では我孫子市鳥の博物館に1体あるだけだそうです。 ということで、今ダーウィン展に貸し出されていますが、6月で終わると引き続き大阪へ行くということです。 鳥博に戻ってくれば改めて見てみたいですね。 科学博物館を出て、上野の山で花見で一杯を楽しみにしていてましたが、人もいっぱい。 花は見頃を迎えていましたが、これでは落着きません。 すごすごと地元に帰ってきて静かにやりました。 去年は3人で大ジョッキ20杯。 今年はその3分の1。 ダーウィンの進化論ならぬ、ダーリンの退化論でした。 昨日は高尾山へ花の写真を撮りにいってきました。 東京都の奥座敷と言われている高尾山は花の山として知られています。 これまで1500種ほどの花が記録されているそうですが、そのうちの1種でも2種でも撮れればと出掛けてみましたが、結果は1枚も満足のいく写真は撮れませんでした。 山を始めた頃は体力も有り余っていたこともあり、足元に咲く可憐な花には目も呉れず、鳥の美しいさえずりにも耳を貸さず、ただ我武者羅に歩き回るだけでしたが、この頃はゆとりを持って、花や鳥や歴史などを楽しむようになり、これを知らずして本当の山の良さ、楽しさが分かるわけがないなんて豪語していますが、成熟したからでしょうか。 いやいや、単に体力が落ちて、以前のように歩けなくなったことの言い訳に過ぎないのかもしれません。 昨日は日影沢を城山まで1時間半の行程を3時間半かけて歩き、予定通り数多くの花を堪能しましたが、一つだけ誤算がありました。 頂上で楽しみにしていた茶屋が昨日はお休みでした。 平日だったからでしょうか。 これを当てにしていつものコンロや缶ビールを用意していませんでしたのでがっかり。 軒先に貼られた、「温かいおでん500円」「なめこ汁250円」「よく冷えたビールあります」の品書きがなんとも恨めしい。 おまけにこれ見よがしにずらっと並べてあるビールの空き瓶は恨めしさを通り越し、腹立たしい。 まあ楽しみは下山後にと、これらを後ろ目に見ながら早々にお昼を済まし、後はひたすら高尾のケーブルの乗り場へ。 下山後存分に楽しみました。 案外これが楽しみで山登りを続けているのかもしれません。 昨日の目的はコチャルメルソウ。 目立たない小さな花ですが、変わった花です。 萼の周りに出ている5つの魚の骨のようなものが花弁で4ミリほどの大きさです。 毎週水曜日の10時から12時まで、鳥の博物館の友の会ルームで「水曜サロン」というのをやっています。 なに、別に難しい会ではありません。 テーマも決まっているわけではありません。 お茶を飲みながらその時々の話題をテーマに語り合おうという気楽な会です。 友の会会長の肝煎りでスタートしましたが、当初多少の出入りはありましたもののその後半年ほどは3名で細々続けていました。 風前の灯。 いつ消えるかなと思っていましたが、年が変わって参加者も増え始め、今では10名近くになり侃侃諤諤賑やかにやっています。 当初の3名ではサボるわけにはまいりませんで、私も真面目に顔を出していましたが、今では1人くらいはという気持ちになって時々サボっています。 私などコーヒー(インスタントですがね)を飲んで、ただ聞いているだけですが、時々(時々ですよ)良い話もあり大変勉強になっています。 定年後どう過ごすか。 と悩んでいる人が多いとか、あるいはそんな人のためのHow to 物の本や雑誌が出回っていますが、なんのなんのここに集まる方たちは大いに青春を謳歌していますね。 ところで会は10時からですが、どうせならと少し早めに出て手賀沼周辺を歩くようにしています。 今日は遊歩道でアオジを撮りました。 ここのアオジは全く人を恐れず、近付いても平気です。 足下で動くものがあるのに気がつき見ましたらアオジが草の芽を啄ばんでいました。 思わず引き下がる始末。 余程人間を信用しているのでしょうね。 人間が人間を信用できなくなった世の中になりましたが。 ここの遊歩道、当分の間いろんな花が咲き競い、散歩者の目を楽しませてくれます。 遊歩道のアオジ 緋寒桜とヒヨドリ 昨日は絶好の散歩日和でした。 取手から利根川の左岸沿いに我孫子市の布佐まで歩いてきました。 距離は凡そ13km。 完全舗装で土の上を歩くことなく反って疲れてしまいました。 このコース、河川敷の中のアスファルト道なので、烈風吹き荒ぶ冬や灼熱の下の夏は不向き。 うららかな春の日を浴びての今頃の散歩が一番ですね。 スタートとなる取手には、駅の南の小高いところにある長禅寺(ここは将門の時代に取手の名の由来となった砦のあったところ)や取手宿の本陣、小堀の渡しなどがあります。 ゴール近くの利根町には、柳田國男が少年の頃過ごした家の家主である小川家の蔵書を貪り読んだ土蔵(今は柳田國男記念公苑になっています)。 柳田國男に民俗学を志す切っ掛けを与えた「間引き絵馬」のある徳満寺。 利根川流域のことを詳しく調べて「利根川図誌」を著した赤松宗旦の旧居跡など見るべきものが多くあり、1にちたっぷりと楽しめるところです。 何処までも続く自転車&遊歩道。 何を獲るのか 小貝川 利根川(向こう側)と小貝川(手前)の合流地点 昨日は前日までの天候とは打って変わって、春本番の陽気となりました。 晴歩雨読。 急に思い立って松虫寺に行ってきました。 以前から気になっていたところです。 場所は印旛沼の近く、印旛村松虫という所です。 自宅から車で1時間ほど。 初めてのところでもあり、北総線が近くの日本医大前まで開通したこともあって、周辺は新しい道路が開通するなど開発が進んでいて、地図を頼りに走りましたが大いに戸惑いました。 古いカーナビ地図上では道無き道を走ったことになります。 ようやく辿り着いたお寺は、静かな山村の林の中にひっそりと佇んでいました。 こじんまりとしていますが、風格のある真言宗のお寺です。 お寺の縁起によると、聖武天皇の第三皇女に松虫姫(不破内親王)が居ましたが、年頃になって難病に罹り、あらゆる手を尽くしてみましたが病は重くなるばかり。 ある夜、夢のお告げにより下総の萩原に効験あらたかな薬師如来があるというのを知り、藁をも縋る思いではるばるここを訪れ祈願したところ、姫の一念が通じ、数年で全快しました。 姫の全快を喜んだ聖武天皇は、僧行基に命じてこの地に寺を建立し、七仏薬師如来像を献じて、松虫姫の名を採って松虫寺と名付けました。 本尊は1体の坐像と6体の立像からなる七仏薬師如来像(国重文)で平安時代後期の作とされています。 縁起とは違うようですね。 他に天正13年(1585年)銘のある鋳銅鰐口や孔雀文磬(南北朝時代の作と推定・県重文)があります。 薬師堂と山門は享保年間(1716〜36年)の建立。 本堂裏には松虫姫御廟があります。 松虫姫の遺言により、死後遺骨を分骨されたものです。 他にもこの伝説にまつわる牛むぐりの池、杉自の塚、銀杏の老樹などがあり、近くにはいくつかのお寺もあります。 この次はゆっくりと歩いて回ってみたいと思いました。 昨日は終日雨でした。 しかも風もありました。 今日は雨は止みましたが、風は相変わらず強いですね。 お彼岸の少し荒れ模様の天候のことを彼岸時化というのだそうです。 晴歩雨読。 こんな日はおとなしく読書デーです。 押入れから古い山の雑誌を引っ張り出してきて目を通していたら、深田久弥の「日本百名山」の連載記事が目に入りました。 山の朋文堂から出ていた「山と高原」の昭和38年4月号です。 日本百名山は、戦前同じ朋文堂から出ていた「山小屋」に連載されていました。 昭和15年3月号からです。 それが10回20山まで紹介されたところで中断していました。 そのうち雑誌そのものも休刊になってしまいました。 戦後復刊されたようですが、それもすぐに消えたようです。 この辺りのことは、高辻謙輔著「日本百名山と深田久弥」(白山書房2004刊)に詳しく紹介されています。 そして、山と高原の昭和34年の3月号から改めて連載が始まりました。 第1回目は鳥海山と男体山。 そして毎月2山ずつ紹介され、最終回の50回目は38年4月号の筑波山と富士山でした。 この連載が完結したら、いずれ単行本として発行されるだろう。 そうしたら手許においてそれをガイドに全部の山に登ってみようと思いました。 翌39年、新潮社から箱入りの立派な「日本百名山」が刊行されました。 早速大枚870円を叩いて手に入れましたが、それから44年、当初の思いは未だに果たしていません。 理由はいくつかあります。 若かりし頃は体力に自信がありましたが、先立つものがなく、毎週のように近くの奥多摩の山で鬱憤を晴らしていました。 先立つものに少し余裕が出てくる頃には時間がなく、やはり近くの山でお茶を濁していました。 今は時間はたっぷりあるのですが、体力に自信が無くなってきました。 しかし本当のところは、百名山以外にも私にとって魅力ある山が文字通り山ほどあり、そちらに気を惹かれていたからかもしれません。 一時深田久弥の日本百名山で無ければ山にあらず、といったような風潮を感じることさえありました。 しかし、深田自身が日本百名山のあとがきで述べていますが、他にも入れたい山があったが、自分で登っていないか、選定条件に少し満たないで外したといって具体的に40数座挙げています。 再版の機会があればいくつか差し替えをするつもりであるともいっています。 山それぞれに個性がありますし、人にもそれぞれ好みがあります。 自分の好みに合った、自分なりの100名山、200名山があっても良いのではないでしょうか。 とは言いつつ、深田百名山で登っていない山を数えてみましたら20山ほどありました。 いずれも良い山ばかりです。 できれば登ってみたいと思っているのですが…。 やはり日本人ですね。

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